防衛力報告書巡り安全保障感覚の異常さを露呈させた東京社説

戦争避ける反撃能力

特にわが国の周辺国が変則軌道や極超音速のミサイルを配備している中、日本の反撃能力の保有と増強が抑止力の維持・向上のために不可欠となっている。

この敵基地攻撃能力の保有を「不可欠」と結論付けた今回の報告書に対し、同社説は「ミサイル発射を阻むためだとしても相手国領域を攻撃することは憲法九条に基づく専守防衛に背くのではないか」と疑問を投げ掛けた。

これまで歴代内閣は、相手国のミサイル発射拠点などを直接たたく敵基地攻撃能力の保有は可能としつつも、日米の役割分担として攻撃は米側に委託し、実際の装備は持たないとの立場を取ってきたが、「敵基地攻撃能力」保有が明記されたこと自体、筆者からすると「やっと普通の国になってきた」との感を強くする。

だが「敵基地攻撃能力」というのは、「どういった敵基地なのか。攻撃できるデッドラインはどこか」などと、戦争をせず、戦力を持たないことを定めた憲法9条こそがわが国を平和国家にしている源泉だと誤信している人々によって、無意味な神学論争の火種になりかねず、「反撃能力」との名称が現実的だ。要は「やられたらやり返す」ということであり、この反撃能力を持つことによって相手国の攻撃意欲をそぎ落とす安保能力の向上が図られる。

いじめ同様、攻撃しても相手が反撃せず抵抗もしなければ、攻撃側を増長させるばかりで状況がますますひどくなることは必至だ。一方、攻撃すればしっぺ返しを食らうことが分かっていれば、簡単には出てこれず、反撃能力の所持こそが戦争を避ける力になる。