銃撃事件なお疑問も
政治家の接点から政策まで批判するのは事件に便乗した保守政策潰(つぶ)しだ。政党には理念・綱領など基本文書があり、政調会など政策決定機関がある。これに特定教団が大きく影響するのは常識外だろう。公明党を除いては。
いずれにしても、事件を旧統一教会バッシングで一件落着させるかのような報道の洪水は疑問だ。他にも、どのように容疑者の標的が恨みを抱く教団のトップから政治家の安倍元首相に変わったのか、事件までのプロセスの解明にも力を入れてほしい。
山上徹也容疑者は事件前に岡山市に安倍氏を追い、そこで旧統一教会に批判的なルポライターに手紙を出したと報じられた。「本来の敵ではない」「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は」ないと書いている。
狙撃のプロでもなく2発でおしまいの手製の銃で、「安倍の死」と断言せしめる確信はどこから来たのか、不思議だ。25日に警察庁が発表した検証報告書でも銃撃は「阻止できた」はず。失敗はあり得る。また、ルポライターのブログに「まだ足りない」のハンドル名で「喉から手が出るほど銃が欲しい」と投稿して以来、「生活の全てを」「銃の入手に費やした」こと、「DD」のハンドル名でも投稿したことが書かれている。



