
批判を許さない空気
「なにか、モヤモヤする」。こう感じている読者も多いのではないか。かくいう筆者も地元のユネスコ協会で活動しており、行事の時などは“正装”として胸に七色の丸いピンバッジを着ける。SDGsのだ。街中でも企業として取り組んでいることを示すためか、社章に並べてこのバッジを着けている会社員を目にするようになってきた。
だが、どこか胡散(うさん)臭い。着けている本人がそう感じるというのもなんだが、正直、偽善ぽいのだ。週刊新潮(7月14日号)が「大型連載」を始めた。「『SDGs』を斬る!」。国際教養大学の工藤尚悟准教授が「SDGsの疑い方」を説いている。
SDGsとは「持続可能な開発目標」をいい、国連が2015年に採択した17の国際目標で30年までに達成しようと呼び掛けているものだ。貧困、飢餓、不平等をなくし、ジェンダー平等、安全な水とトイレ、気候変動対策など、多方面の目標を挙げている。
国連が公式に掲げるものであり、どの項目も取り立てて反対する理由がなさそうに見えるため、SDGsを推進しているというのはある種のステータスにも映る。
だが、それを推進する国連が全き理想の国際組織かというとそうではない。ロシアのウクライナ侵攻で明らかになった安保理の“機能不全”は言うに及ばず、組織にはびこるネポティズム(縁故主義)や壮大な無駄など、多くの欠点を抱えた“伏魔殿”なのだ。
工藤教授は、「SDGsに対する『批判を許さない空気』の背景には、SDGsの目標一つ一つが理想的であるのと同時に、それが国連で採択されたもの」だからと指摘する。日本人の「美しい誤解」なのだ。「『国連が提唱=良いもの』と無意識に捉えることは思考停止です」とも警告、「もっと批判的に見る」ことが必要だと説く。



