「『SDGs』を斬る!」と題し思考停止に陥る危険性指摘する新潮連載

17項目で説明できず

「SDGsを自分事に」と言われる。「17項目のどれか、取り組んでいますか」と問われる。挙げられた項目は網羅的だから、「最終的には『要はサステイナビリティ(持続可能性)って全部じゃん』となり、『世の中全てのことが対象となり得て、それらを適切に維持したり発展させていくことがサステイナビリティである』という、とてもぼやけた理解に至る」と解説する。

だが「この状態をやや心配してみています」という。つまり「“SDGsな行動=良いもの”」と無批判的に捉えられてしまうからだ。ところが「世界は17個の目標で説明できるほど単純ではない」。それ以外の課題に目が向きづらくなるということを教授は指摘している。

「17個の目標に照らして『これは正しい』『これは正しくない』という考え方をしてしまうことは、18個目を考えられない、つまり創造性が低い状態になっている」ということ。例えば「プラスチック自体が悪いのではなく、それを使いすぎた後の処理の仕方が問題」というふうに発想が広がって、想像していく力が抑えられるという負の面があるのだ。

再考必要な二者択一

なので「二つの異なるロジックがぶつかった時に、一方を否定したり排除しようとしてしまう層がますます増えていくのではないか」と工藤教授は危惧する。

これを世界で進む両極化や、情報過多がもたらす非寛容性に即、結び付けるわけではないが、世界や社会を陣営に分け「あれかこれか」の択一を迫ることにつながっていないか、考えてみる必要がある。ピンバッジを着けて「SDGsを推進する人」、着けていなければ「関心が薄い人」と分けて、そこで満足していては本来の目標には到達しない。

これまで先進国が設定した「人権」や「環境」などの物差し一つで歴史も地理環境も違う200もの国家を測ってきた。一方で「多様性」を主張するなら、17項目だけでは、後の世代にこの地球を残せない、ということを考えさせられる。第2弾、3弾を待つ。

(岩崎 哲)