
国の体質変える一大改革を
梨泰院の惨事は私たち全てを恥ずかしくした。当然、最も大きい責任は国家、尹錫悦(ユンソンニョル)政権にある。事故前に112(警察通報用の電話番号)にかかってきた電話のニュースに接した時、胸が詰まるようだった。犠牲者の遺族の心はさぞかし大変だっただろう。
このように多くの人々が犠牲にならずに済んだ状況が続々と明らかになっている。112への通報後、警察の指揮体系がまともに作動すれば、責任者の一人でも現場指揮に出ていれば、地域事情をよく知る区庁が素早く対応していれば、災難安全通信網が稼動したならば、最悪の事態は防げていただろう。
だから、梨泰院の惨事は国家システムが故障した大韓民国の危機だ。国家哀悼期間が終わるや否や野党の共に民主党は大統領の責任と内閣総辞職を取り上げ、政権の危機に追い込もうとしている。与党の国民の力は今回の事件を政権の危機と見なして消極的対処や政府防衛に乗り出せば、野党が主導する“災難政治”はさらに騒がしくなるだろう。それは、セウォル号事態の時に目撃したことだ。
セウォル号の惨事がそれ自体が悲劇であるにもかかわらず、左右陣営の対決に拡大したのは与党も野党も災難を政治化したためだ。真相究明のため9回も調査したものの実体的な真実について合意にさえ至らなかった。その間に政権が変わり対立の溝はさらに深まった。
セウォル号事態を研究した社会科学の学者たちは、「党派的な災難政治の深刻な弊害は、災難の根本原因についての論議を麻痺(まひ)させることによって災難に対する根本的な収拾や予防を難しくしたところにある」(ソウル大朴鍾熙(パクジョンヒ)教授)と指摘する。
牛を失っても牛舎を直せなかった結果が残酷な梨泰院の惨事だ。なぜこうした惨事が起こったのか実体的真実を解明して責任を問い、未来の災難を防ぐことは尹錫悦政権の使命になった。すべての過程が透明で徹底できなければ、いつでも“災難政治”の炎に包まれるだろう。何人かの人に法的責任を問うだけで終わってもならない。「どうしても納得し難い」という大統領の言葉のように、誰ひとり責任を取ろうとしない公権力や公務員組織の失敗にはより大きい責任が問われなければならない。
大韓民国の体質を変える一大改革なくしては国内はもちろん、国際的にも失墜した政府の信頼を回復することは難しい。政府も、政界も、メディアも梨泰院の惨事を“第2のセウォル号”にしないことが犠牲者たちに対する最小限の道理だと信じる。大韓民国は次の政権でも安全でなければならない。
(黄政美(ファンジョンミ)編集者、11月9日付)



