
強国目指した安倍氏
安倍晋三元首相の国葬儀が9月27日、行われた。メディアの世論調査では反対が賛成を上回っていた。だが献花台に向かう市民の列は数キロに及び、数時間を待って遺影の前にたどり着き、準備してきた花を供えて静かに手を合わせる人々の姿が延々と続いた。
一方で死者の見送りを鳴り物と怒声で汚して恥じない人々もいた。ところが、その数は世論調査の比率を反映したものではなく、メディアだけがこの“少数の事例”をことさらに取り上げ、安倍氏を偲(しの)ぶ大多数の国民に違和感を与えた。いや、違和感というよりも不快感だったかもしれない。
賛成と反対に分かれたことから、メディアは安倍氏が「国民に分断をもたらした」と評した。だがそうだろうか。ニューズウィーク日本版(10月4日号)が「安倍晋三の正しい評価」を特集している。安倍氏の伝記「The Iconoclast」(偶像破壊者―安倍晋三と新しい日本―)の著書がある米シンクタンク「アメリカ進歩センター」上級フェローのトバイアス・ハリス氏が「国論を二分した男 安倍晋三の真実」を書いている。
戦後の日本は、もう一人の国葬で送られた政治家、吉田茂によって下絵が描かれた。「日本の最優先課題は経済成長であり、日本は軍備を軽くしてアメリカと密接な同盟関係を保ち、平和憲法を維持する」ことにしたのだ。
ところが戦後も終わろうとしていた昭和30年(1955年)に結党した自由民主党は党是に「憲法改正」を掲げて出発した。そうではあっても、結局、吉田茂が敷いた路線を日本はひた走ってきた。
その環境が変わったのをハリス氏は次のように指摘する。「冷戦の終結、バブル崩壊と戦後経済モデルの失墜、いわゆる『55年体制』の終焉(しゅうえん)と1994年の小選挙区制導入。これらがそろったとき、ようやく戦後コンセンサスから『脱却』する可能性が見えてきた」と。
そこに登場したのが「安倍晋三」である。安倍氏は「平和憲法の制約から解き放たれ、成熟した大国として行動できる、より強い国家としての日本を目指そうとしたのではないか」とハリス氏は分析する。



