国民との間に「隙間」
ところがである。「安倍に反発する人々の敵対心も激しかった」のだ。「日本が21世紀を勝ち抜くには政治も経済も社会も変わらねばならないと熱く叫び続けたが、その主張を国民に売り込むことに成功したとは言い難い」ものだった。
そして、「政治家がいかに変化の必要性を痛感していようと、国民の広範な支持という民主的正統性を欠く限り、日本が国際社会で、安倍の夢見た指導的な役割を果たすことは難しい」と結んだ。
つまり、安倍氏が夢見た「強い大国日本」に対して、国民の意識は追い付いていっていなかったということだ。選挙で勝ち続けたにもかかわらず、いったい国民は安倍政治の何を支持したのだろうか。相変わらず経済に重点を置き、外交や安全保障面での国際的責任から逃れながら、先進7カ国(G7)の末席にとどまろうとする浅ましい日本だと言われているようでもある。
だからこれは「分断」と言うよりも、安倍氏があまりにも速く前に行き過ぎ、後続との間に生じた「隙間」というべきなのではないだろうか。「生前の安倍は、そんな自分のビジョンを国民に丁寧に説明したいと語っていた」というが、もう説明することもできなくなった。残念だ。
かつて2006年から07年、浅尾慶一郎参院議員(当時民主党)事務所から日本の政治を見てきたハリス氏はその志を「受け継ぐ覚悟が、今の与党政治家にあるだろうか」という問いを突き付ける。
「政治の短絡化」指摘
「対立という遺産を残して」の記事をノンフィクションライターの石戸諭氏が書いている。何が何でも安倍に反対する政治が永田町に定着してしまったと指摘している。石戸氏はこれを「政治の短絡化」だと。重要な指摘だ。
(岩崎 哲)



