英王室と英連邦の将来に不安示すNW日本版のエリザベス女王特集

エリザベス女王に敬意を表するため、市民がウェストミンスター宮殿を訪れた=ロンドン、2022年9月16日(UPI)
エリザベス女王に敬意を表するため、市民がウェストミンスター宮殿を訪れた=ロンドン、2022年9月16日(UPI)

“敬愛の念”を示す列

弔問の列が途切れない。30時間以上待って、ようやく棺に対面し、数秒だけ許された別れの時間を惜しむ。英国民が9月8日に死去したエリザベス女王に示している“敬愛の念”と“忍耐”だ。この列を「エリザベス・ライン」という。

“忍耐”と書いたが、あの英国民が列も乱さず、騒ぎも起さず、整然と、粛々と待っているのは、忍耐を超えて、女王を惜しみ、別れの時間を噛(か)みしめ、祈るための十分な時間なのだろう。

昭和天皇が崩御された時(昭和64年)、やはり弔問の列が皇居の前に長く連なった。単に一国の元首を超えて、「昭和」という激動の時代を生き、「現人神(あらひとがみ)」から人間になり、戦禍で荒廃した国土を巡り、国民を慰め励まして、その後、平和日本を守ってこられた昭和天皇への尊崇から、国民たちの足をおのずから記帳台に向かわせた。

ニューズウィーク日本版(9月20日号)が「エリザベス女王とその時代」を特集している。女王の生きた96年を振り返る記事をジャーナリストで元BBC政治担当記者のロビン・オークリー氏が書いた。

「他人と打ち解けず、感情を表に出さなかった」女王について「昔なら最高とされた英国人気質」と評すが、今の時代にそぐわない面もあるという。だがその英国人気質で「儀礼的な務めを淡々とこなし続けることで国民との絆を深めた」とも。

70年にもわたる長い在位期間、世界中の元首や指導者に会っている。英首相は15人が席を通り過ぎて行ったが、「意外なお気に入り」は労働党のハロルド・ウィルソンだったという。「イングランド北部出身の平民で社会主義者」に対し、女王は自分をダウニング街(首相官邸)の夕食に招待してほしいと頼んだ。初の女性首相である「マーガレット・サッチャーとの相性は悪かった」そうだ。

在位中、国民との間が険悪になったのが、「97年にパリで起きたダイアナ元妃の交通事故死のとき」だ。女王は半旗の掲揚すら許さなかった。この事件は「女王と王室が、階級や特権に対する考え方が劇的に変化した世界への適応に苦労したことを示す例だ」とオークリー氏は指摘する。

事件をきっかけに「女王をはじめ王室は、より親しみやすく、庶民の感覚を取り入れようとしたが、それは簡単な道」ではなく、「ヘンリー王子と妻のメーガン妃」が追い打ちを掛けた。