編集委員 池永 達夫
1988年の中国取材で、北京の中国新聞協会を訪問した折、驚いたことがある。玄関に近い教室ほどの部屋で、職員の政治学習集会が開かれていた。椅子に座って講話を聞くという形態でなく、2段の長椅子に立ったまま拝聴、唱和するというものだ。
●(「登」の右に「おおざと」)小平の「改革・開放」路線の最中にあって、なお文革時代を彷彿(ほうふつ)させるようなこうした政治集会が存在していた。結局、中国という国は、外面(そとづら)と内実では相当な隔たりがあると実感した。
現在、異例の3期目続投を果たした習近平総書記は一強体制構築に成功し、独裁化路線を強化している。中国政府は、学習内容を総合し回答を文章や画像で作成する「チャットGPT」など生成型人工知能(AI)の規制に乗り出す。目的は政権批判や自由民主をあおる文章や画像の排除であり、「愛国」「富強」といった習近平政権が強化を図る価値観を反映させようという思惑が絡む。これに従わない者は刑事責任が問われ、法的縛りが強化される見込みだ。
中国共産党が危機感を募らせたのは、6年前の騰訊(テンセント)のAIだった。同社のAI対話プログラムのチャットで、「中国共産党は腐敗して無能」と、異例の共産党批判を展開したからだ。さらに「中国の夢は何か」との問いに「米国への移住」と、あっさり答えた上に、共産党は「嫌い」とも率直に述べた。
中国のネット世界では「AI蜂起だ」とか「国家転覆を企画」などと炎上し、テンセント社は急遽(きゅうきょ)サービス停止せざるを得なかった経緯がある。以後、中国でのAI開発では、共産党に関する議論はアンタッチャブルなものとして自己規制線を張ったままだ。
共産党政権最大の課題は、政権の維持にある。そのため、障壁となるものはすべて除去する意向だ。その障壁となる最大のものは、「真実」や「事実」そのものだろう。だが、自己の都合の悪い「真実」は見て見ぬふりをし、都合のいい「事実」のみつまみ食いするという手法では、国際的に始まっているAI開発競争に負けるのは避け難い。
中国は昨年の共産党大会で科学技術に関し、「イノベーション能力を高め、独創的・先駆的な科学技術のブレイクスルーを行い、ハイレベルの科学技術の自立自強を図る」とした。そのため「イノベーション文化を育み、科学者精神を発揚し、優れた学風を生み出し、イノベーションを起こしやすい環境をつくる」ともしたが、皮肉なことに独裁化を深化させる習近平氏それ自身こそが中国科学の進化を妨げるつまずきの石になっていることに気が付いていない。
ルネサンス後、西洋で起きた近代化を促したのは、火薬・印刷・羅針盤の三つとされる。火薬で戦闘能力と土木開発力が増し、印刷技術で知識が普遍化され、羅針盤で大航海が可能となった。中国はその三大発明の発祥地でもあった。だがどんな優れたDNAを持った種も、土が悪ければ根と葉を茂らせ幹を伸ばすことはない。
問題の核心は、習近平氏が率いる独裁体制にある。イノベーションは、革新を希求するタフな個人と、多様な人々が混在するチームワークが成立してこそ成果が上がる。今の中国にあるのは、夢を語るスローガン政治だけの肥料が乏しい赤土社会。個の才能を花開かせ、里山文化のような豊かな共同体を育成する土壌が共産党政権にはない。



