安保理決議受け派遣
何という歴史の捻(ね)じ曲げか、事実誤認も甚だしいと思わざるを得ない。確かに米国がイラク開戦の理由に挙げた「大量破壊兵器の保有」は見つからず、安保理の明確な決議もなかった。だが、「知恵蔵」にある、フセイン政権の「査察に非協力」を不問に付すことはできるだろうか。
そもそもフセイン政権は1988年に化学兵器を使って国内のクルド人を大量虐殺し、90年には隣国クウェートを侵略した。湾岸戦争でイラクが降伏した際、安保理は停戦の条件として大量破壊兵器を造らず、査察を受け入れることを定めた(決議687)。
それ以降、安保理は16回にわたって大量破壊兵器破棄や査察受け入れなどの決議を行ったが、フセインは適当にあしらった。02年11月に安保理は30日以内にすべての大量破壊兵器計画、関連施設、原材料などの申告を「即時、無条件、無制限」で求める決議1441をアラブ強硬派とされるシリアを含め15カ国の全会一致で採択した。
しかし、フセインはこれにも応じなかった。これは湾岸戦争の停戦合意の破棄にも等しい。それで米国は開戦3日前の03年3月17日にフセインに48時間以内に国外に出るよう要求し、これに従わなければ武力行使によって武装解除すると宣言した。フセインはこれにも答えず、自ら開戦を望んだのだ。
そういう背景から湾岸戦争のような明確な安保理決議はないが、米国の侵略戦争と断じたり、撤退を求めたりする決議は一切、採択されていない。それどころか、03年10月には新イラク決議1551を全会一致で採択し、イラク治安回復への多国籍軍派遣とイラク復興支援を加盟国に求めた。
わが国はこれに基づきイラク復興支援特措法を制定し、自衛隊をイラクに派遣した。04年2月にアナン国連事務総長(当時)が訪日した際、国会演説で自衛隊のイラク派遣に謝意を表明している。朝日に批判される謂(いわ)れはない。



