耳当たり良い言説に惹かれる
昨年10月、『陰謀論』(中公新書)を上梓した京都府立大学准教授の秦正樹が月刊「潮」4月号に論考「『陰謀論』を信じやすい人、回避できる人」を寄せている。秦によれば、陰謀論は「『重要な出来事の裏(うら)では、一般には見えない力がうごめいている』と考える思考様式」と定義できるという。
新型コロナパンデミックでは、米国のキリスト教信者の間で反ワクチンの風潮が強まった。2021年、トランプ前大統領支持者らによる米連邦議会襲撃事件に陰謀論集団「Qアノン」の関与があったと言われた。こうしたニュースを聞いて、筆者は神の力を信じるキリスト教信者が多い社会らしい動きだと思ったのを記憶している。「見えない力」を前提にした思考様式は、信仰的な思考と通底するものがあるのではないか。しかし、キリスト教文化圏でない日本における陰謀論を考える場合、宗教的要因はメインにならないはずだ。
もともとネット右翼的な考えを持っていた秦は、「市井(しせい)の人々がどのようなメカニズムから右翼的思考に陥(おちい)るのかを、政治学の視点から検討しようと思った」と言い、そこからフェイクニュースや陰謀論に触れるうちに、研究の対象が陰謀論に移っていった。そこで分かったのは右派にも左派にも陰謀論はあることだった。
政治学的視点から陰謀論を分析するほかに、社会心理学的視点から見るのも興味深い。例えば陰謀論をテーマにした民放テレビの時事番組に、秦と同席した日本大学危機管理学部教授の先崎彰容(あきなか)は「(コロナ禍やロシアによるウクライナ侵略などで)先が見えない、不透明な時代には『これが悪なんだ』『これを叩けばいい』と一人の悪者、一つの原因を見つけることによって、安心したい」と述べた。陰謀論に陥る要因の一つに、社会不安の原因を見つけて安心したい人間の心理があるという指摘にはうなずける。そして人間は、安心できる立場に立つと正義が発揮できるのだという。
さらに、先崎はツイッターにのめり込む人が増えていることに言及。「情報の海の中にいて『我々は何を選択していいか』という基準を見失ったまま、情報の中を泳いでいる。その時に残されたものは、たとえば不安という感覚、正義感という暴力性、セクシャルなど、極めてプリミティブ(根源的)なものによって振り回され、それで(社会不安の)原因探求をしていく。そういう時代に入っている」と見る。情報過多社会は、人の不安を増大させ、それが陰謀論を蔓延(まんえん)させるという、負のスパイラルに陥る危険性をはらむ社会なのだろう。
政治的な視点から見た秦の分析で説得力を持つのは、特定の政治的な信念を持つ人間の方が陰謀論を受容する傾向が高いという指摘だ。なぜなら、「動機づけられた推論」(社会心理学者クンダ提唱)のメカニズムが働くからだ。この概念には二つの観点があって、「正確性」を目的とする場合と、「方向性」を目的とする場合がある。
前者では、情報に対して慎重で精密な解釈を試みるから陰謀論には陥りにくい。一方、後者は「自らにとって望ましい結論に達するように、選択的に情報を獲得したり、解釈したりする」。つまり“結論ありき”の思考になったり、自分の政治信条に合わせて耳当たりの良い言説に惹(ひ)かれたりして、陰謀論に陥るというわけだ。それは左右両方の政治的立場に当てはまる。
テレビやネットなどから得た断片的な情報を、つなぎ合わせて一つのストーリーを作る。その時、自己の政治的な信念がバイアスとなって、“胸にストンと落ちる”ストーリーに作り上げる。だから、政治・時事問題に関心が高い人ほど陰謀論を受容しやすい傾向があるのだろう。しかし、民主主義では、有権者が政治に関心を持つことは重要なことだから、これは皮肉な現象でもある。
そこで秦は、陰謀論に陥るのを防ぐために有効な姿勢として「適度な政治との距離を模索(もさく)すること」と、政治的な関心事でも「日常生活に身近な問題をより意識すること」を挙げる。筆者はそこに思考における健全な懐疑心を付け加えたい。
(森田 清策)



