TV局と新聞の関係
従来見解は放送法が成立した1950年のもので、「番組全体」なら個々の番組は放置されかねず、逃げ道ができる。現に東京社説は「(従来見解で)コメンテーターも自由に意見を述べられた」と白状している。「自由に意見」とは聞こえはよいが、しばしば逸脱した。だから一つでも「極端な場合」は政治的不公平と判断するのは当然だろう。
テレビ各社は新聞とは違い、公共の周波数を優先的に割り当てられ、国から放送免許を与えられている。それで放送法4条は「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などと定める。
ところが、わが国では新聞とテレビ局は系列化されているので、新聞には“身内気分”がある。朝日はテレビ朝日、毎日はTBSで、報道番組には新聞からコメンテーターを送り込み、新聞の延長線上で反政府の言論の自由を振りかざす傾向が強い。
かつてテレビ朝日には椿事件があった。1993年衆院選で椿貞良報道局長(当時)が「自民党政権の存続を絶対に阻止し反自民の連立政権を成立させる手助けになる報道を」との方針を出し、自民党幹部を悪代官に描く「リピート手法」(ある映像を何度も繰り返す)でイメージダウンさせ、下野に追い込んだ。
それを日本民間放送連盟(民放連)の放送番組調査会の会合(同年9月21日)で誇らしげに語ったのを産経がスクープ(同10月13日付=新聞協会賞受賞)。椿氏は解任され、国会で証人喚問された。郵政省(当時)は同局の免許取り消し措置は見送ったが、人事管理面で行政指導した。



