無神論に屈するバチカン

シンパシーで中国と「握手」か

オーストリアには祭壇上に、十字架の代わりに「トランスジェンダー活動家」のヌード写真を掛ける教会もあるといい「敬虔(けいけん)なカトリック教徒である私にいわせれば、まさしく神を冒涜(ぼうとく)する行為」と、モーガンは憤るのである。

では、バチカンが中国共産党と握手するだけでなく、敬虔な信者が「神を冒涜する行為」と嘆くLGBTQ運動が世界の教会に浸透するのはなぜか。これについて、モーガンは『ポリコレの正体』の著者、福田ますみ(ジャーナリスト)の「LGBTQは『文化的マルクス主義』そのものだ」という主張を紹介しながら、「このイデオロギーをカトリック教会が認めてしまい、世界の人びとへ推奨」している、と結論付けている。

「ポリコレ」(ポリティカル・コレクトネス=政治的な正しさ)は、あらゆる“差別”を「悪」とし、それを一掃しようとする政治的現象。例えば、同性愛者などに対する違和感さえ「差別=悪」として断罪のターゲットにする。

一方、文化的マルクス主義は、資本主義の矛盾から経済体制の破壊が必然的に起きて革命が実現するとしたマルクス主義の破綻から学び、破壊対象を経済から伝統的な倫理規範やそれを支える宗教などをターゲットとして既存体制の破壊を狙る革命イデオロギーだ。

LGBTQ運動が米国で始まり活発となったのは、聖書の記述から同性愛行為を「罪」とされたことに対する当事者の反発と、キリスト教文化の破壊を狙ったマルクス主義者の思惑が重なったからだとみることができよう。厳格な性倫理規範と弱者救済の二律背反状況に立たされる格好となったキリスト教文化圏の西欧諸国では、前者が弱まる一方で、活発となった運動に屈し、ほとんどが「同性婚」を法制化するに至っている。

日本でも米国から入ってきたLGBTQ運動が近年、活発になっている。しかし、それでも一夫一婦制が守られているのは、キリスト教文化圏の外にあることと深く関わっているだろう。しかし、文化的マルクス主義者がわが国の伝統文化を支える家族制度をターゲットにして、既存体制の破壊を狙う構図は同じ。この思惑に気付いている日本人はどれほどいるのか。

だから、モーガンは、LGBTQ運動を推進する「神父やカトリック教会は日本社会にとって極めて深刻な脅威になり、日本に住む子どもたちを性的虐待の危険に晒しています」と訴える。その上、「カトリック信者であるかどうかには一切関係なく、LGBTQのイデオロギーを日本に輸入しているカトリック教会と神父を見つけ出し、日本の社会に警鐘を鳴らすことへ協力」を呼び掛ける。カトリックのヤバい内部実情を知る敬虔な信者ならではの危機感が伝わってくる。(敬称略)

(森田 清策)