社会から疎外された人や弱者救済という観点では、キリスト教と共産主義に親和性があるから、バチカンの高位聖職者に共産主義にシンパシーを持つ人物が多いという指摘には一理ある。ただ、モーガンの告発や分析の中には、信者でない筆者には確かめようがない内容もある。
それでも、カトリックが危機的な状況にあるとの告発に、一定の説得力を感じるのは、筆者も「ヤバい」と思った体験をしているからだ。モーガンも告発するカトリック内部へのLGBTQ(性的少数者)イデオロギーの浸透だ。
コロナ禍前の2019年、LGBTQ活動家たちが権利拡大のため大型連休中、毎年行ってきたイベント「東京レインボープライド」の取材のため、東京・代々木公園を訪れた時のことだった。会場の一角に、虹色の下地に「LGBTQ+カトリック信仰共同体」の横断幕を掲げたテントがあった。展示資料を見ていると、一人の男性が「レインボー十字架」と「LGBTQとカトリック教義」と題した小冊子をくれた。
筆者は虹色の十字架を見ながら「カトリックもここまで来たか。一般の信者はどう感じるのか」とため息をついたのを覚えている。ただ、その時は、信者にLGBTQ当事者がいても不思議ではないし、聖書の教えを考えれば、日本でLGBTQ運動に携わるのは一握りだろうと思った。
だが、『バチカンの狂気』を読んで認識を改めた。筆者が手渡された小冊子の著者の名前がこの本にも登場。モーガンは彼を「東京の大司教との関係があるようだ」とし、日本にも「LGBTQ推進神父」が少なからず存在することを指摘している。
そればかりか「WiLL」の論考では、東京大司教区がLGBTQを「猛烈に」推していると警告する。その具体例として、東京大司教がLGBTQを肯定する本に推薦文章を書いただけでなく、寄稿も行っているという。
それでも日本はまだましな方だろう。教えに反して近年、「LGBTQミサ」が世界各地で執り行われている。「神父がミサを捧げるときに、教会をLGBTQを象徴する虹色の旗で飾ったり、神父が虹色のストールを肩にかけたり、ミサのなかで同性カップルを祝福したり、十字架にまでも虹色の飾りをつけたり……」。



