不意を突かれた当局
今号のメインはこの特集だが、タイミングからいってもっと注目したい記事があった。「1989年の悪夢が中国に蘇る日」である。中国では「ゼロコロナ」政策への反発から各地で抗議デモが発生した。「規模は過去数十年間で最大だ」という。その中で習近平国家主席や中国共産党への批判の声が公然と出て、その映像が世界中に伝えられた。
10月の共産党大会で権力基盤を固めたはずの習近平体制に早くもほころびが生じたのか、江沢民元主席の死去をきっかけに江派の巻き返しが始まったのか、さまざまな憶測が飛び交い、このまま抗議デモが全国に拡大していけば、それこそ天安門事件の再来かと思われた。
ところがである。事態は急速に収束していく。中国政府が「ゼロコロナ」政策を大幅に緩和したのだ。当局は力でねじ伏せるのではなく、住民の不満にターゲットを絞って対策を打ち出し収拾してしまったのだ。
とはいえ「習近平退陣せよ」が叫ばれたことはどうなったのか。3期目に入った習主席にとっては由々しき問題のはず。そもそも、各地の抗議デモが天安門事件のようにならなかったのはどうしてか。
同誌は上海市の例を挙げて、「当局は不意を突かれ、取るべき対応に迷ったようだ」と伝えている。警官もデモ集団を「静観」し「制圧」していない。この上海の様子を伝える「フォーリン・ポリシー誌特派員(安全のために匿名)」は「当初のこうした反応は、政治的な抗議に対するソフトなアプローチというより、地方や国の指導部がある程度、驚いていたことを反映していたのだろう」と分析する。
不意を突かれたということだ。そして“正気に戻った”当局はその後の取り締まりを強化し、「27日の成都や28日の杭州のデモでは、警察による慎重かつ組織的な実力行使や残虐な行為が目撃されている」という。さらに「29日の時点で、政府はデモ参加者を盛んに追跡している」というから、何も変わらず、いつもの中国、ということだ。
白紙に何も書かれず
だから、この匿名記者は結論として「1989年のような事態にはならないだろう」と判断した。電子機器やネット監視などでがんじがらめにされている中国国民が公然と当局を批判するのは難しいのである。
「中国人風刺漫画家のラージャオ」は同誌コラムで「(抗議の意味で掲げられた)白い紙が全てを塗り替えるかもしれない」と期待を寄せたが、白紙には何も書かれずに終わりそうだ。
(岩崎 哲)



