Jアラート「改善」は唱えるも国民の命を守る方策には沈黙する朝毎

朝日の「エセ平和論」

反安保は左派紙の宿痾(しゅくあ)と言ってよい。2002年に有事法制が論議された際、朝日は「有事法制は奇怪な夢物語、いや悪夢の物語である」(同5月20日付1面「座礁」)と嘲(あざけ)り、03年6月に有事3法が成立すると木村伊量政治部長(後に社長)は「有事法制は、戦場と化した街や山野を戦車がわが物顔で走り回るための『フリーパス』であってはならない」と“訓戒”を垂れた(同7日付1面)。

むろん木村氏の言う戦車とは自衛隊の戦車で、上陸した侵略軍のそれは眼中にない。ウクライナを思い浮かべると、ぞっとするエセ平和論である。

Jアラートの根拠となった国民保護法は04年に施行されたが、これにも朝毎は異議を唱えた。同法は有事での国民の避難・救援のため協力を義務づける指定公共機関(160法人)に電力会社や鉄道・航空会社、通信会社のほかNHKと民放19社も指定したが、毎日は「『戦前に似てきた』/報道統制の流れに警鐘」(同8月10日付)と噛(か)み付いた。

記事で警鐘を鳴らしていたのは終戦の日の玉音放送に関わった元NHK職員の柳沢恭雄氏だった。氏は1950年のレッドパージでNHKを退職し、徳田球一や伊藤律など共産党幹部と同様に中国に密出国。58年に帰国し、日本電波ニュース社を設立し「共産圏の宣伝マン」と称された筋金入りの共産党員である。毎日は国民保護法に反対するため共産党の宣伝機関紙と化していた。

特別報道態勢に難癖

前述の朝日社説は「Jアラートが出ると、テレビ各局は即座に通常番組を中断し、特別報道態勢に切り替えた」とし、「『有事』の際の報道は、政府の発表に頼らざるをえず、その意を受けた世論が醸成されやすい危うさをはらんでいる」などと難癖を付けている。

国民の命よりも政府非難に頭が回る朝日である。むろん左回り。そっちの意を受けた世論醸成の方がよほど危うい。真に受ければ、命がいくらあっても足りなくなる。

(増 記代司)