物価高より上位に教団を位置付ける朝日と攻勢強める共産党の「共闘」

憲法が保障する請願

さて、朝日10日付「教団側望む法制度 請願次々」の記事である。サブ見出しに「旧統一教会系団体代表が幹部の団体」とあり、各地の地方議会で家庭教育支援法の制定を求める意見書が可決されているのは、家庭教育を重視する教団の“仕業”だとしている。これは企画記事でなく報道記事だ。いったい何が問題なのか、理解に苦しむ。

請願は憲法が保障する国民の権利だ。「平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」(第16条)としている。教団関係者というだけの理由で請願を問題視するのは、それこそ「平穏に請願する権利」を奪い、「差別待遇」する違憲行為というほかない。教団信者は国民に非(あら)ず(非国民)とでも言うのだろうか。

元来、朝日は個人を至上とし「家庭」を目の敵としてきた。これに対して自民党は家庭を重視し、同党の憲法改正草案に「家族守護条項」を盛り込んだ(16年)。すると朝日は「戦前を想起させるような国家優先の発想」と批判(同10月19日付社説)。さらに自民党が家庭教育支援法案をまとめると、「いま、このような法律をつくる必要がどこにあるのか」(17年2月19日付社説)と噛(か)み付いた。

書評欄では、自民改憲草案や家庭教育支援法などをやり玉に挙げる『国家がなぜ家族に干渉するのか 法案・政策の背後にあるもの』(本田由紀・伊藤公雄編著、青弓社)をお薦め本として紹介していた(17年10月22日付)。

その中で仏教大学教授の若尾典子氏は、明治近代国家は国家暴力(軍事力)と、夫=父の家父長的暴力の二つの「暴力」で維持されていたとの珍論を展開し、われらの祖父や曽祖父をすべからく暴力主義者と断じ家庭支援を拒絶している。それを今さら教団批判にかこつけて家庭教育支援法を持ち出すのは、火事場泥棒の類いである。

保守潰しに便利な冠

それにしても「教団側望む」の冠は便利だ。この分でいけば「教団側望む改憲」「教団側望む防衛費増」「教団側望む夫婦同姓」等々、保守潰(つぶ)しの打ち出の小槌(こづち)のように使われそうだ。何でもありの朝日と共産党の反転共闘である。

(増 記代司)