政教分離の原則

政治関与否定は唯物的宗教観

マスコミを中心にした熱病にも似た世界平和統一家庭連合叩(たた)きと、それに過剰反応する政治。なぜこんな事態になっているのかを分析するとき、日本人の宗教観が大きく影響しているように思う。それは政治との関わり、つまり政教分離を考えると分かりやすい。これには大きく二つの考え方がある。

作家の佐藤優は月刊「Hanada」に持つ連載コラム「猫は何でも知っている」で、次のように指摘する(「旧統一教会問題と日本共産党」=10月号)。

一つは旧ソ連、中国、北朝鮮が取る見解。つまり「宗教は内面的信仰に限定され、政治に関与すべきでない」というもの。言葉を換えれば、「宗教は阿片」とした共産主義的な宗教観で、宗教を否定するか、限定的な意義しか認めない立場だ。唯物論者は「神」「霊魂」を認めないのだから当然だろう。

もう一つは「政教分離原則は国家が特定の宗教や宗教団体を優遇もしくは忌避(きひ)することを禁止したもので、宗教団体が自らの価値観に基づいて政治活動を行うことを認めるという考え方」だ。宗教の意義を積極的に認め、宗教が政治に関わるから民主主義は健全になると考える立場と言っていいだろう。

佐藤は、後者の考え方を取る国家として米国と日本を挙げた。本来の立場からすればそれは正しい。しかし、日本の場合、戦後77年が経(た)ち、戦前への過剰な反省もあって神や霊魂の存在を否定する風潮が社会に蔓延(まんえん)、共産主義的な宗教観に近づいているように感じる。その代表例がマスメディアに登場する左翼的なジャーナリストや弁護士たちである。テレビの討論番組を見ると、「私は無宗教です」と断ってから家庭連合批判を始める識者も少なくないが、国際基準からすれば「無宗教」を証すことは褒められたことではない。

そして、佐藤は「信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかる」と党綱領で定める日本共産党に対して、「『政教分離の原則の徹底』が何を意味するのか、宗教団体の政治活動に制限を加えるか否かについて」「公党として立場を明確にすべきだ」と「宿題」に答えるように求めている。その上で「宗教団体に対する感情的非難が行きすぎると、信教の自由の基盤を崩し、日本の民主主義体制を弱めることになる」と警告している。

(森田 清策)