戦前からある「日韓トンネル」構想を教団独自と印象操作する朝日

国鉄内にプロジェクト

同構想は何も教団の専売特許ではない。その起源は戦前の日本人に遡(さかのぼ)る。1939年に当時の国鉄の鉄道監察官だった湯本昇氏が『中央アジア横断鉄道建設論』を著し、東京―ベルリン間を鉄道で結ぶ構想を唱え、その中で日韓海峡鉄道トンネルの建設を提唱したのが始まりだ。ネットで「湯本昇」を検索すれば、誰でも知れる話だ。

湯本氏は国鉄内に「中央アジア横断鉄道研究会」を設け、青函トンネルの生みの親とされる技師の桑原弥寿雄氏と共に40年に日韓トンネルの調査を開始。対馬や佐賀県呼子から壱岐までの地質調査などを行い、ボーリングも試みている。

文鮮明師が日韓トンネル構想を提唱する前年の80年には大手建設会社の大林組が日韓トンネル・プロジェクトチームを発足させ、最新技術で実現可能とし、工費を約3兆円超え、工期を約20年と試算している(『巨大プロジェクト 世界経済を活性化する25の超大型計画の全容』講談社、85年刊)。

国交相の無知な発言

朝日記事の中で斉藤鉄夫国土交通相は「(同構想は)ちょっと荒唐無稽な構想だと思っていた」と述べているが、無知の極みだ。朝日はこういう発言を引き出し、日韓トンネル構想を「荒唐無稽」と思わせ、資金集めのための方便と言いくるめたいらしい。

だが、日本のトンネル技術は侮れない。90年に貫通したヨーロッパ大陸と英国を結ぶドーバー海底トンネルのフランス側からの掘削は川崎重工業が担い、欧州の人々を感動させた(NHK『プロジェクトX』2001年9月放映に詳しい)。13年10月に開通したトルコのボスポラス海峡の海底トンネルは大成建設が手掛けた。

その開通式に出席した安倍首相(当時)は「さあ、次は東京発イスタンブール、そしてイスタンブールからロンドンにつながる新幹線が走る夢を一緒に見ようではありませんか」と呼び掛け、トルコの聴衆が熱狂的な拍手と賛意の口笛で応じている(産経・同年11月3日ネット版)。

日韓トンネル構想は文鮮明師の提唱によるが、日本人の悲願でもあった。教団が関われば何でも悪にする。そんな風潮は日本をも貶(おとし)める。

(増 記代司)