「旧統一教会」バッシング 安倍氏も「加害者」にする“報道テロ”

昭和史研究家の保阪正康氏はテロの恐ろしさは、「正義の暴力は許される」という「動機至純主義」にあり、「ポピュリズムの怖さは、正義と不正義の基準が一瞬で逆転するところにある」と警告する(「『テロ連鎖』と『動機至純主義』」=「文藝春秋」9月号)。

小川、藤原両氏が指摘するように、教団=悪(反社会的)、だから教団と関係を持った安倍氏は「暗殺されても仕方がない」という印象操作が行われている背景には、集団的自衛権の行使容認や平和安全法制(安全保障関連法)を整備し、国際社会における日本の地位向上に尽力した安倍政治に対する反発と、世界の要人が参列することで、安倍氏に対する世界的な評価が国民に示されることになる国葬の阻止を狙う勢力の存在があり、その勢力による政治的な意図を感じるのである。

先に、教団バッシングは信者の内心を踏みにじる人権侵害であると述べた。教団=悪のレッテルが貼られ、友好団体のイベントに祝電を送るなど、教団とわずかに関係を持った政治家が関係を切ることを強要されるという、踏み絵を踏まされるような状況が広がっているのを見れば、信者は自己の信仰を否定されたように感じるであろう。

これは人権の侵害であると同時に、人格の否定である。信者の自殺未遂事件については、個人のプライバシーに関わる問題だから、教団は詳細を明らかにしていないが、女性信者はそのような苦しみの中にあったのではないか、と推測される。マスコミはそのような信者の存在を忘れているのだ。

一方、25日に発表したプレスリリースで、教団は信者の自殺未遂事件とは別に、興味深い事実を明らかにしている。「24時間テレビ『愛は地球を救う』」(「日本テレビ」)の2014年放送の番組テロップで、参加ボランティア団体として教団の「能登教会」を紹介したというのだ。

教団が、この事実を公表した狙いは明らかだ。日本テレビをはじめ多くのマスコミには、教団が「反社会的」との認識はなく、むしろ「信頼」して番組制作への協力を求めていた。それなのに、安倍氏銃撃事件以降、手のひらを返したように、バッシングを続けるのは許し難い行為だというのである。

今後、同様のケースがどんどん明らかにされる可能性がある。教団と過去にわずかでも関係を持った政治家を批判して「関係を切れ」と踏み絵を踏ませるマスコミはどう釈明するのか。

(森田 清策)