高齢者の役割は子育てと地域の安定化

子育てと地域の安定化のために

ピンピンコロリと死ぬのなら「老後の蓄えをどうしようか」と悩む必要はない。数日前、夫を亡くした後、資産を投入して福祉事業に尽力する70代の女性と話をしたら、「元気に働いて、コロッと死ぬのだから、財産は必要ない。残った土地も寄付しようと思っているのよ」と笑っていた。現実にどんな死に方をするかは誰にも分からないが、目指す死に方が明確だから生き方に迷いがない、と教えられた。

昨今、「人生100年時代」と言われる。仮に55歳で後生殖期に入るとして、人間がこれだけ長い老後を送る生物学的意味はどこにあるのか。かつて取材した、元上野動物園長の中川志郎さん(故人)から聞いた話を思い出す。人間の場合、母親だけでは子育てが大変で祖母の手が必要。一方、地域社会安定のためには長老の知恵が必要だから、人間は長生きするのだという。

小林さんも「人間の子育ては時間がかかるため、祖父母がいる家庭の方が子供がたくさん育てられる。そのために老後が存在しているという『おばあちゃん仮説』もある」と紹介している。

また「人間は社会的な生物であり、社会を維持するためには老いた人が必要だという考え方もある。若い人は基本的に、お金を儲けよう、偉くなろう、好きな人と結婚しようといった欲求に支配されているし、それが当然だ。しかし、そうした人たちだけで社会がまとまるかというと、おそらくまとまらないだろう」とも述べている。利己的な若者だけでは社会はまとまらないから、高齢者が必要というのだ。

その上で、「公共的に死ぬというのは、社会の中で『死んでいいよ』という合意があるところまで死んではいけないということでもあるだろう」と、含蓄のある仮説を述べている。

そこで、高齢者の登場というわけではないが、今年3月に上梓(じょうし)しベストセラーとなっている『子どもが心配」の著者で、解剖学者の養老孟司さんの発言が示唆に富んでいる(「子どもたちからの『警告』」「Voice」5月号)。テレビ番組に出演した時に、10歳の小学生から「良い人生って何ですか」という質問を受けたというのだ。

それに対して「そもそも十歳の子どもがこんな質問をすること自体、大人が日常の幸せを提供できていない何よりの証拠」と憤りながら、小学生が「良い人生とは何か」を本当に知りたいのだったら「まずお坊さんに聞きにいくべきなんですよ」と宗教の役割の重要性を強調する。