「利己的な生と公共的な死」
その特集の中で、東京大学定量生命科学研究所教授、小林武彦さんの論考「利己的な生と公共的な死」は、人の寿命や死を生物学的な観点から考察していて興味深い。細胞レベルで見れば、老化は生まれた時から始まっているが、若い時は新しい細胞で補われるから、個体としては若さを保ち死ぬことはない。
細胞のがん化は「DNAの傷が蓄積し、いわば壊れた状態で増え続ける」ことで、それを防ぐために、免疫機構や老化の仕組みによって細胞を入れ替えていく。しかし、ある年齢になると、「異常な細胞が急激に発生するようになる」。その年齢はおおよそ55歳だそうで、「別の言い方をすれば、進化によって獲得した55歳という想定を超えて、人間は長生きするようになった」というのだ。
かつて取材の過程で学んだ生物学で、トンボの成虫は大きく三つに分けられるということを思い出す。前生殖期、生殖期、後生殖期だ。人生も同じように分けることができるとすれば、人は55歳ぐらいから後生殖期に入ると見ていいのではないか。
小林さんは「一般的には、他の生物には人間のような長い老化の期間はなく、ほとんどの場合、生殖可能期間が終わると寿命が尽きて死んでしまう」と指摘する。
よく例に出されるのはカマキリ。オスは、交尾中にメスに食べられ死んでしまうのが何割かいる。メスの栄養となって、子孫を残すことに役立つと考えれば死にがいもあろう。これは「公共的な死」と言えるかもしれないが、同じオスとしては切ない。
さらに「例えば、人間と猿の遺伝子は1・5%しか違わないが、メスのチンパンジーやゴリラは死ぬまで生理があるから子供が産めるし、オスも生涯現役だ。寿命はだいたい50年で、死ぬしばらく前まで元気で、ピンピンコロリと死ぬのが普通である」とも。猿だけでなく、人間も本来、元気に働き、急に亡くなっていたのだという。



