【社説】タイ総選挙 曲がり角のタイ式民主主義

タイ総選挙は大方の予想を裏切り、野党革新派の前進党が第1党に躍り出た。対する親軍2党は惨敗を喫し、議席数を合計しても前進党の半分でしかない。タイ国民は、2014年のクーデター以後、長く続いた親軍政治に飽き飽きし、政治に新しい風を期待した。

新風巻き起こした前進党

前進党に追い風となったのが、第1党候補と取りざたされたタクシン元首相派の貢献党が親軍政党と組んで連立政権を樹立するのではないかとのニュースが流れたことだ。これで軍政脱却を唱え続けてきた前進党への期待値が一気に高まり、大量の票が流れ込んだ。

それほど軍政が嫌われた背景には、同じ出自ゆえに隣国ミャンマーのクーデター政権に厳しい態度を取れなかったASEAN(東南アジア諸国連合)の盟主としてのふがいなさもあったが、機能しなくなったタイ式民主主義への危機感がある。

タイ式民主主義を最初に掲げたのは1950年代後半、クーデターで樹立したサリット政権だった。サリット元首相は軍主導の開発独裁で国家を牽引(けんせい)した。80年代、共産党ゲリラに対し「恩赦するから投降せよ」と促すなど調整型政治に徹し長期政権を率いたプレーム元陸軍司令官は、21世紀初頭に誕生したタクシン政権をクーデターで駆逐した裏方として知られる。

タイ式民主主義の眼目は、軍介入による政治のリセットだ。そのクーデターに正当性を与えるかどうかの役割を担ったのが国王だった。ただ立憲君主制移行後、これまでに19回のクーデターが発生しているものの、必ずしも全てを国王が承認しているわけではない。

こうした政府と軍、国王の緊張したトライアングルがタイ式民主主義に命を吹き込んでいた歴史がある。そのトライアングルが機能不全に陥っている。

一つの理由は、タイ国民の束ね役を担ってきたプミポン前国王の逝去だ。ワチラロンコン皇太子が新国王に即位したものの、タイ各地を巡り「国民と共にある国王」であり続けたプミポン前国王と違って、外国に滞在し続けたりするなど王室の求心力減退が顕著となっている。

さらに9年前、国家を二分するようになったタクシン派と反タクシン派の間に軍がクーデターで割り込んだだけでなく、行司役が権力の椅子に座り続け、しかも長期政権下で利権政治と堕した。これではタイ式民主主義は機能しない。

軍政脱却と王室改革の2点を旗印にした前進党が新風を巻き起こしたのは、こうした機能不全に陥っているタイ式民主主義への危機感を国民と共有したからだろう。だが、新風は時に暴風雨をもたらす。過激な政策は、連立相手の政党が緩和することを期待する。

王室の健全な存続を

とりわけ南アジアや東南アジアで王室の衰退が目立つ。ネパールでは王制が廃止され、カンボジアやマレーシアの王制は象徴的なものでしかない。

東南アジアで王制が機能してきたのはブルネイとタイぐらいだ。わが国の皇室とも関係の深いタイ王室の健全な存続が願われる。