国会では衆参両院で予算委員会が開かれ、与野党が論戦を行った。野党は主に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題を取り上げ、政権を揺さぶったが、ほかにも論じるべき問題があったはずである。
論議進まぬ銃撃事件
まず論議すべきだったのは、安倍晋三元首相銃撃事件についてである。この事件では、母が多額の献金をして家庭が崩壊したことで旧統一教会に恨みを抱いていた山上徹也容疑者が、教団とつながりがあると思い込んで安倍氏を銃撃したと報じられている。
しかし捜査が進む中、多くの謎が出てきている。最も不可解なのは、安倍氏の死因について、救命治療に当たった奈良県立医科大付属病院の福島英賢教授の所見と、奈良県警の司法解剖の結果が大きく異なることだ。福島氏の所見は「心臓および大血管損傷による失血死」であるのに対し、司法解剖では「左右鎖骨下動脈の損傷による失血死」としている。
こうした矛盾を警察がなぜ放置しておくのか、国会で厳しく追及すべきではないのか。事件当日の警備の問題も同様だ。これらのテーマが重視されなかったことは残念である。首相在任期間が歴代最長の安倍氏の命が、あまりにも軽く扱われていると言わざるを得ない。
旧統一教会問題では、立憲民主党の打越さく良氏が山際大志郎経済再生担当相に信者かどうかをただす場面があった。憲法で保障された信教の自由を侵害する質問であり、極めて不適切である。立民の唱える「立憲主義」からは程遠い態度だ。
政府・与党も野党に振り回されていたことは否めない。岸田文雄首相は当初、旧統一教会への解散命令の要件について「民法の不法行為は入らない」と答弁していた。ところが、この答弁の翌日には「入り得る」と従来の法解釈を変更したのだ。
こうした重大な変更をたった一日で行うことは、法の恣意(しい)的な解釈につながりかねず、法治主義を脅かすものである。野党や世論の批判を和らげ、低下する支持率を回復させるためであるとすれば無責任極まる。
安倍氏は国家と国民のためであれば批判を恐れず行動する「闘う政治家」であることを心掛けていた。だが、岸田首相は「妥協の政治家」になっているのではないか。首相が掲げる「聞く力」も明確な政治理念があっての話である。批判の声を気にして右往左往するばかりでは、日本のさまざまな国難を克服することは難しい。
中国の習近平国家主席は共産党大会で、台湾統一に向けて「武力行使を決して放棄しない」と明言した。台湾が侵攻されれば、沖縄県・先島諸島なども攻撃を受ける可能性が高い。北朝鮮は日本近海に着弾する弾道ミサイル発射を繰り返しているほか、9月には核兵器使用に関する法令を定め、核先制攻撃も辞さない構えを強めている。日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増す一方だ。
安全守る改憲を急げ
日本の安全を守るには憲法改正が急がれる。与野党各党は改憲案の国会発議を実現できるよう真摯(しんし)に議論すべきだ。



