【社説】英女王死去 立憲君主として見事な生涯

バッキンガム宮殿前には多くの市民が訪れた=9月9日(UPI)

歴代最長の70年間、女王として国民の母として英国を導いたエリザベス女王が死去した。その生涯は英国と英国民のために捧(ささ)げた生涯だった。立憲君主としての見事な治世を実現し、日英親善の絆ともなった女王に心からの哀悼の意を表したい。

常に国民と苦楽を共に

女王は即位前の21歳の時、最初の外遊先である南アフリカで生涯を国民のために捧げると宣言。それから30年後の1977年、在位25年を祝う「シルバー・ジュビリー」に際して「21歳の時、私は国民のために生涯を捧げることを誓い、その誓いを果たすために神に助けを求めました。世間知らずの若い頃に誓ったことですが、私はその誓いの一言たりとも後悔はしていないし、撤回もしません」と振り返った。

それ以後も、女王は国民への奉仕を実践。最後まで公務から離れることなく、今月6日にはトラス新首相を任命した。任命した首相は15人に上る。

父君ジョージ6世の死去を受けて1952年、25歳で即位した女王の治世は、第2次大戦後の英国史と重なる。大戦後の英国は、大英帝国の解体が進むなど大きな変化が続いた。二大政党制の下、政権交代による変化に揺れることもあった。

最近では欧州連合(EU)離脱をめぐって国論が二分され、新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)で非常な困難に直面した。その時も女王はテレビカメラの前に立ち、国民に融和を呼び掛け、励ましのメッセージを送った。常に国民と苦楽を共にする姿があった。トラス首相は声明で「良い時も悪い時も、私たちに必要な安定と強さを与えてくれた」と女王を称(たた)えた。

王室も幾度か難しい問題に直面した。特にダイアナ元皇太子妃が自動車事故で亡くなった時は、王室の対応が冷たいと国民の批判が起きた。その時は素早く国民の気持ちに寄り添い、なだめ癒やした。

「君臨すれども統治せず」の長い伝統を持つ英王室は、国民世論への敏感さと柔軟な対応力を歴史的に身に付けているが、女王の類まれなる聡明さと決断力が、王室を難局から救ったと言える。

女王への哀悼は、英国と英連邦にとどまらす、日本を含む世界中で表されている。バイデン米大統領は声明で「彼女のレガシー(遺産)は英国史のページと世界の物語に大きく刻まれるだろう」と称えた。女王が生涯で公式訪問した国は120カ国以上に上る。

わが国皇室は英王室と深い関係がある。女王は昭和天皇御訪英の答礼として75年に来日。日英の親善関係を深めた。天皇陛下は「私の英国留学や英国訪問に際しても、様々な機会に温かく接していただき、幾多の御配慮をいただいたことに重ねて深く感謝したいと思います」と「お気持ち」を公表された。

新国王に遺産継承を期待

女王の死去を受け、チャールズ皇太子がチャールズ3世として国王に即位した。

新国王の下で新しい王室像が模索されると思われるが、エリザベス女王の遺産を引き継ぎ、英国の安定と発展を導くことを期待したい。