【社説】沖縄復帰50年 自立的発展促す振興政策を

沖縄県はきょう、1972年の本土復帰から50年を迎えた。政府・県共催の式典には岸田文雄首相が出席する。

安全保障面で重要性増す

沖縄では先の大戦で軍民合わせて20万人以上が犠牲となる地上戦が行われ、52年4月のサンフランシスコ講和条約発効で日本から切り離されて米施政下に置かれた。本土復帰を求める声が高まる中、69年11月に佐藤栄作首相とニクソン米大統領との日米首脳会談で返還で合意。72年5月15日に復帰を果たした。

復帰後、政府は「本土との格差是正」を掲げて沖縄の社会基盤整備に重点的に取り組んだ。新型コロナウイルスの感染拡大前は観光産業を中心に成長を遂げた。ただ県民所得は全国最低水準から抜け出せず、平均的な生活レベルよりも著しく低水準にある子供の割合を示す「相対的貧困率」(2015年)は全国平均の約2倍に上るなど課題が残る。

政府は今月、沖縄振興に関する今後10年間の指針となる基本方針を決定。アジアに近い地理的優位性を活用すれば「強い沖縄経済を実現し、ひいては我が国全体の発展を牽引し得る大きな可能性を秘めている」として戦略的な産業振興を目指す方針を打ち出した。沖縄経済は振興予算への依存度が高く、自立的発展を促す政策が求められる。

一方、安全保障面では、台湾統一に向けて武力行使も辞さない構えを示す中国の脅威が高まる中、戦略的要衝である沖縄の重要性は増している。台湾が侵攻されれば、沖縄の先島諸島なども戦場となるとみていい。何よりも、中国が一方的に領有権を主張している尖閣諸島は沖縄の島である。

復帰50年に合わせ、沖縄県の玉城デニー知事は首相に県の要求をまとめた「建議書」を手渡した。建議書は在日米軍専用施設・区域の7割が沖縄に集中する現状に触れて「沖縄を平和の島とする目標は50年経過した現在もいまだ達成されていない」と指摘。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設断念や日米地位協定の改定などを求めている。

しかし、沖縄と日本の平和を守るために在沖米軍の存在は死活的に重要である。玉城氏は移設を阻止するため、国との法廷闘争を展開しているが、移設は住宅地などに囲まれた普天間の危険性を除去し、米軍の抑止力を維持する唯一の方法だ。

県のホームページには「普天間飛行場跡地未来予想図」が掲載されている。自然環境との共生を打ち出し、産業振興や国際交流の拠点としていく構想だ。辺野古移設にかたくなに反対するのでなく、沖縄の発展につなげていく視点が欠かせない。

 首里城復元で絆強めたい

沖縄入りした首相は、19年10月に火災で焼失した那覇市の首里城の復元に向け、今年11月に正殿の建築に着工する方針を明らかにした。首相は首里城について「沖縄県民にとってアイデンティティーのよりどころであり、誇りであり、国民的な歴史文化資産だ。復元に向けて責任を持って取り組みたい」と語った。首里城復元によって沖縄と本土との絆がさらに強まることを期待したい。