世界が称えた「遺産」の継承を 安倍氏国葬儀

本紙主幹 黒木正博

安倍晋三元首相が凶弾に倒れてから、きょうで82日。国葬儀を迎える。国葬儀決定については、反対や異論が出ているが、重要なのは政府としての国家の意思である。安倍氏が死亡した6日後には岸田文雄首相が「国葬儀決定」を表明した。時を置かず安倍氏の功績を政府として内外に示したことは外交の要諦と言えよう。

インド太平洋構想の意義

世界各国から異例の多くの弔意が表されたことも岸田首相の「決断」を促したと言えるが、首相は今後もぶれずに国葬儀の意義を強調し、安倍レガシーの継承発展を追求してほしい。

戦後の国葬儀は、吉田茂元首相以来2度目となる。吉田、安倍両氏の置かれた環境はもちろん異なる。吉田氏は戦後復興を図る上で経済優先、軽軍備路線を推進したが、安倍氏はバブル崩壊後、日本に経済大国としての陰りが見える中、米中新冷戦と言われる日本を取り巻く大きな戦略環境の変化に対し、戦略的な安全保障の強化に取り組んだ。

吉田路線は、経済大国への地歩を固めながら、一方で日本の安全を米国に依存し憲法改正など実質的日本の独立に対しては国策の優先課題とはしなかった。当時、これに異を唱え、憲法改正と日米の対等な関係に向けた安保条約の改正に取り組んだのが岸信介元首相であり、その流れを汲(く)んだのが孫の安倍氏である。その二人が国葬儀に列するのは、歴史の大いなる巡り合わせと言うべきだろう。

安倍政治のレガシーについては、さまざまに評価されているが、改めてその代表的な意義と価値を記したい。

トランプ前米政権時のポンペオ国務長官は安倍氏の功績について、特に「自由で開かれたインド太平洋」構想を挙げ、「世界に対してこれを明確に語っただけでなく、自国民に対しても語った。政治指導者にとって、これは最も困難なことだ。……戦後の安全保障秩序の中で日本がそれまでいた立場から世界の舞台に移行する覚悟ができていた。彼が残した最も重要な功績はこれだ」(本紙インタビュー)と称(たた)えた。

一言で言えば受動的な外交から積極能動的なそれへの転換である。自国一国だけでは守れない。そのためには日本自身の防衛努力と、基軸となる日米安保体制を有効あらしめていくビジョンが不可欠である。米国の相対的なプレゼンス低下と中国の世界的な覇権活動も背景にある。単に日本周辺の安全保障環境だけでなく、まさに「地球儀を俯瞰(ふかん)した外交」が求められた。

世界と連結した戦略眼を

その意味でインド洋と太平洋を連結し、遠く欧州、アフリカであっても日本への安全保障の関心を高めていくことが安倍氏の大きな眼目でもあった。二国間の問題、例えば韓国との慰安婦問題の合意や北方領土をめぐるプーチン・ロシア大統領との交渉、反米のドゥテルテ比大統領(当時)との米比仲介なども、そうした戦略眼から打ち出されたものと言える。

安倍レガシーの継承は日本にとっても世界にとっても、今必要な「戦略」である。