短歌革新運動への旅 正岡子規が訪れた南山閣/仙台市

旅姿の正岡子規 仙台文学館提供

宮城県仙台市の北西部、青葉区八幡から国見に上っていく坂道にかつて南山閣という文学者のサロンがあった。

俳人・正岡子規は26歳のとき東北へ旅し、紀行文『はて知らずの記』に、歌人・鮎貝槐園(あゆがいかいえん)をここに訪ねたことを書いている。

伊達家の家老だった石田家が風光、眺望のよいこの地に江戸中期に別荘として建てたもので、明治期の南山閣には、鮎貝やその兄である落合直文、与謝野鉄幹、土井晩翠などがたびたび訪れた。

子規は明治26年年7月、日本新聞社の記者として、すでに肺病を患っていたにもかかわらず、西行や松尾芭蕉といった先人の足跡をたどって約1カ月の長道中に出た。

仙台文学館の庄司潤子学芸員によれば「歌枕の地を訪ねるのが目的ではなく、自分が俳句革新運動に向かっていく上で何が必要か、ということをきちっと見据えた旅だった」。

鮎貝とは東京での短歌運動を通じて既知の間柄で、大いに通じるものがあったようだ。

この旅が、やがて新俳句を主張し、短歌の革新にも影響を与えることになった。

(市原幸彦)