信仰の祖とされる千松兄弟

キリシタン殉教の地 岩手・大籠を訪ねて

殉教者309人という歴史を伝える

千松小八郎の宿跡

岩手県一関市藤沢町のキリシタン殉教の地・大籠(おおかご)を訪ねた。殉教者309人という江戸時代の初めの過酷な歴史を伝えるが、特に千松地区は、信仰の祖とされる千松兄弟にまつわる史跡が点在している。

大籠はかつて製鉄が盛んだった。当地に残る首藤(すどう)家の文書によると、永禄年間(1558~70年)に西洋式の製鉄技術を持つ千松大八郎、小八郎の兄弟が備中(岡山)から招かれ、キリスト教の信仰を広めたという。

千松地区には、車道とその右脇を流れる千松川に沿って、史跡が点在する。まず対岸の丘裾に、大八郎の墓と伝える石が見えてくる。道路から小さな橋を渡る。丘裾一帯は村民らの墓所だったらしい。

さらに上流にいくと、対岸のうっそうと茂る森の中に山の神の祠(ほこら)がある。ただし橋が架かっていない。むやみに人を近づけないためだろうか。近くに小八郎の宿跡があり、そこの民家に住む人に聞くと「地元の人も、そこへはめったに行きません」とのこと。やむ無く、川面(幅2㍍ほど)の小岩を伝って行った。

祠は中ががらんとして御神体がない。千松兄弟が備中から持参したデウス神の像が祀(まつ)られた場だったが、キリシタンの禁令以降、十二の神(キリストの12弟子のことともいう)と称して祀った。その後、それでも危険ということで、日本流の「山の神」に変え、土の中に埋めたという。

さらに先の農地は、教会跡と伝える所。その奥は大善神(キリストを意味する)という祈祷(きとう)所跡。高さ50㌢ほどの石碑が立っている。

ただし永禄年間といえば、1549年にザビエル神父が初来日してから10年そこそこの時期だ。あまりにも早過ぎるので、大籠のキリシタン信仰に深い関わりのある2人の人物が千松兄弟に仮託された可能性も指摘されている。

その2人とは、キリシタンの仙台藩士・後藤寿庵とバラヤス神父だ。寿庵は、長崎で受洗しつつ新しい製鉄法や技術、知識を学び、大籠に足しげく来たと考えられている。1620年、仙台藩で大弾圧が始まった時、棄教を拒み消息を断った。バラヤス神父は20年近く大籠を中心に隠れながら布教活動し、1639年に捕縛され江戸で殉教(火刑)した。

厳しい禁教下で、2人の実際の名前を語ることは不可能だった。大籠の人々は代わりに千松大八郎、小八郎という名前を使うことで、その信仰と功績をしのんだのではないか。

(市原幸彦、写真も)