対象の本質に迫る眼光 『土門拳の古寺巡礼』/東京都写真美術館

固有文化の素晴らしさ伝える

東京都写真美術館で開催中の「土門拳の古寺巡礼」

戦後日本を代表する写真家土門拳は、『ヒロシマ』『筑豊のこどもたち』など社会派の写真集を世に送り出す一方で、日本文化の本質に迫る『古寺巡礼』をライフワークとした。今年はその『古寺巡礼』全5巻の第1巻が刊行されて60年。これを記念して展覧会「土門拳の古寺巡礼」が東京都写真美術館で開かれている(5月14日まで)。

土門拳は、中学時代に和辻哲郎の『古寺巡礼』などを読み、京都や奈良の古寺・仏像に憧れを持っていた。昭和34年に脳出血で倒れ右半身が不自由となると、大型カメラを三脚に乗せて左手でシャッターを切る撮影に切り替え、43年2度目の脳出血に倒れ車椅子生活となってからも、全国の古寺・仏像を撮影し続けた。

同展では、カラー、モノクロ合わせて120点を展示。「飛鳥寺金堂釈迦如来坐像面相詳細」は、仏像の顔の目と鼻のあたりを正面からクローズアップで撮った、代表作の一つだ。最初、破損がひどいこの仏像に見向きもしなかったが、考えを改めた。

「土門は大変な読書家で、撮影する寺、仏像についての事前調査も徹底しており、独自の歴史観、美術の見方をもっていた」(伊藤由美子八王子夢美術館館長)という。土門はこの仏像に飛鳥仏の杏仁形(きょうにんぎょう)の目が残っていることに着目し、そこにこの仏像の本質があるとみたのではないか。

絞りをぎりぎりまで絞って対象に迫るのは、その物質的な質感を捉えるだけでなく、対象の本質に迫るための方法でもあった。土門の仏像写真を見ていると、観(み)る人によって、こうも違って見えるのかと実感すると同時に、そこに当てられた土門の鋭い眼光が強く感じられる。

土門が古寺巡礼をライフワークとしたのには、「戦後の疲弊した日本人にわが国固有の文化の素晴らしさを示すという使命感に似たものがあった」と伊藤氏は言う。古寺巡礼を始めた土門は、日本文化が中国、朝鮮のイミテーションでは断じてないと直感する。そして第4集でこう述べる。

「それから10年、日本文化一本に絞って取り組んできたいまは、その直感の正しさを再確認するとともに、日本文化の力強さに頭を垂れるしだいである。芳醇な原酒の香にどっぷりとひたれる我々日本人は全く幸せなことである」

日本文化の本質に生涯懸けて迫った土門拳という稀有(けう)な写真家を持ったという点でも、日本人は幸せである。

(特別編集委員・藤橋進)