文学に生きることを決意 岩野泡鳴/竜の口渓谷で死を覚悟

竜の口渓谷に架かる八木山橋

宮城県仙台市の西、八木山動物公園の近くに、竜の口渓谷に架かる八木山橋がある。明治・大正期の自然主義の代表的な作家・詩人の一人、岩野泡鳴(1873~1920年)は若いころここで自殺を試みたことがあった。

泡鳴は兵庫県洲本の生まれで、キリスト教教育者の押川方義(おしかわまさよし)を慕い、英語教師になろうと東京から仙台神学校(東北学院の前身)に赴く。しかし米人教師に試験をされて、君は英語ができないから生徒になりなさいと言われた。そんなこともあってノイローゼになり、竜の口渓谷で自殺しようとする。

当時は橋がなく、両岸は切り立った岩で樹木が多く突き出ていた。飛び降りた時に松の枝が横に張った所に引っかかった。

その松の根元で、谷底の流れの響きを聞き、「豁(かつ)然生命を重んずる念を生じ…絶壁をおりて白く清き水を掬(きく)し一生の渇きを癒せし如き心地」を覚えたという。そして文学に生きることを決意する。

その後、梵(ぼん)語の文典を読んだり、試験はボイコット、しかし睡眠時間は1日わずか3時間という文学修行生活の中で、詩劇『魂迷(たまはまよう)月中刃(げっちゅうのやいば)』を執筆。それを携えて東京に帰った。

今なお変わりない竜の口の流れに、仙台を第二の故郷と呼んだ泡鳴のもだえを聞き、泡鳴の人生出発をしのぶことができる。

(市原幸彦、写真も)