犀星文学のふるさと俳句
何気ない日常に詩を見出す
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詩集『抒情小曲集』や小説『幼年時代』などで知られる室生犀星の創作の原点は、俳句にあった。15歳の時、故郷金沢で地元の『北國新聞』に投句を始めた犀星は、一時の中断期を挟み、生涯にわたって句作を続けた。そのうちの約800句を精選した『室生犀星俳句集』(岸本尚毅編、岩波文庫)を読むと、専門俳人の句にはない詩情を湛(たた)えた、魅力的な句が多いことに改めて驚かされる。
行く春や蒲公英ひとり日に驕る
迷ひ子をとりまく人や花の山
草の葉に昼の蛍や尻あかし
いずれも明治40年、犀星18歳の作だが、巧みな写生で、特に「迷ひ子」の句など、花見の山の情景が目に浮かんでくるようだ。犀星に俳句を指導した金沢の俳人、藤井紫影は、早熟な才能と野心にあふれる犀星を「句に痩せてまなこ鋭き蛙かな」と詠んでいる。
明治43年犀星は初めて上京し、以後、詩と小説に専念するが、俳友、芥川龍之介との交流が本格化する大正13年から再び句作に取り組む。
鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな
犀星の代表句の一つに挙げられるこの句も、この年の作。この他、「蝸牛(ででむし)の角のはりきる曇りかな」「朝ぜみの幽けき目ざめなしけり」など小動物へ細やかな観察眼の光る句も多い。不遇な幼年期を送った犀星だが、郷里の自然に触れながらその詩的感受性を養っていったのだ。
秋の日や柑子(こうじ)いろづく土の塀
昭和4年の作で、「金沢、川御亭」の前書きがある。犀星にしてはやや月並みな句だが、武家屋敷などが並ぶ城下町金沢の情景が目に浮かんでくるようだ。
紅波甲(こうばこ)や凪ぎしみやこも北の海(昭和11年)
前書きに、「紅波甲といへるは東京の蟹くらゐある酒のさかなによろしき蟹也。金沢の家兄より送り来たりしその返しに」とある。東京に暮らす犀星にとって、故郷・金沢は常に詩的インスピレーションの源泉であった。
わらんべの洟もわかばを映しけり
あんずあまさうなひとはねむさうな
いずれも昭和10年作で、文芸評論家の山本健吉が『現代俳句』で取り上げている。「わらんべ」の句について山本は、「若葉の中に洟垂れ小僧を立たせた対照のユーモアが、犀星の愛情にほかならないのである」と書いている。
蚊帳除けて天井の穴懐かしむ
くろこげの餅見失ふどんどかな
きうりみなまがれるなつのおはりかな
これらは名句とまでは言えないかもしれない。しかし多くの人が一度は体験したり目にした何気ない光景に、犀星はしみじみとした詩を感じたのである。言葉の巧みさ以上に、幼年期から培われた鋭敏な感受性のたまものと言えよう。
(特別編集委員・藤橋進)



