秋田県埋蔵文化財発掘調査報告会

縄文時代の耳飾りがお墓から同時に2点も見つかったり、奈良時代の幻の雄勝城(おがちじょう)の確定に近づく幅広い溝跡が発掘されたり、烏帽子(えぼし)を被った身分の高い人物の墓が発見されたりと、令和4年度の「秋田県埋蔵文化財発掘調査報告会」は興味深い内容となった。
3月3日、秋田県生涯学習センターで開催され、12件の発表に約200人の歴史愛好家が耳を傾けた。コロナ禍のため3年間中止となり、今回は4年ぶりの開催。
耳飾りの出土は鳥海山山麓のにかほ市象潟町「ヲフキ遺跡」。専門用語では玦状(けつじょう)耳飾りといい、リング状の一端が切れたCの形をしている。縄文時代の前~中期の遺跡から出るが、同じ墓から2点並んで出たのは県内初。割れた耳飾りに穴を開けひもで結び付けていて、大事に使われていた。
奈良時代の西暦759年に「出羽国雄勝城を造営する」と『続日本紀(しょくにほんぎ)』に出てくる雄勝城は、所在不明のまま幻の城と呼ばれてきた。調査人の1人、高橋学さんは秋田県埋蔵文化財センターに勤務し、長年考古学に携わり、退職後も発掘活動を続けている。
高橋さんは横手市雄物川町の造山(つくりやま)地域に注目。県立雄物川高校の敷地を含む地域で、今回は幅3㍍ほどの大溝跡が見つかった。奈良時代の大溝跡は県内初で、宮城県では城柵・官衙(かんが)遺跡でしか発見されていない。
しかも、この溝と並行する市道雄物川高校2号線とは240㍍(800尺)の距離にあり、令和元年にはこの2号線の延長上に10㍍間隔で2本の道路側溝が確認されている。同時に発掘された18棟の竪穴建物跡はすべて南北方向をきっちり向いており、「雄勝城または施設群を構築した人々の住居跡の可能性が高い」(高橋さん)。
烏帽子が墓から出土したのは横手市平鹿町の払田(ほりた)I遺跡。絹糸で織られ漆が塗られており、縁(ふち)と呼ばれる袋状の部分が明瞭に残っていた。
県内では初めて、東北では平泉など7例目、全国でも三十数例しかない。奥州藤原氏の3代秀衡(ひでひら)から鎌倉幕府3代将軍・源実朝(さねとも)の時代に当たる。
「鎌倉時代の初めに烏帽子を被ることのできる領主クラスの人物が、土葬という格式の高い埋葬方法で葬られたことが明らかとなった。白磁や青磁など貿易陶磁器も出土し、この時代に何らかの拠点的施設があったと想定される」と横手市教育委員会では検討していく予定。
(伊藤志郎、写真も)



