
昨年2月、ウクライナへの武力侵攻を始めたロシア政府は同年9月5日、わが国政府に対し北方四島とのビザ(査証)なし交流や墓参、自由訪問など北方領土における両国の合意事項を一方的に破棄し、元島民や北方領土返還運動関係者を大きく落胆させた。そうした中で北海道は返還運動の火を絶やさず、より多くの国民の周知と理解を得るため、元島民2世による語り部セミナーや動画コンテスト、中学生を対象とした作文コンテストを実施するなど、地道な取り組みを続けている。(札幌支局・湯朝 肇)
2月7日の「北方領土の日」に先駆けて1月23日、元島民2世の語り部による「北方領土セミナー」が道庁1階ロビーで開催された。
「私の祖父母や母は国後島の古釜布に住んでいました。祖母はそこで蕎麦(そば)屋を営んでいたといいます。祖母は島で亡くなり、終戦間近に祖父と母や姉が島を出て北海道に渡ってきました。当時、ソ連軍は戦争が終わった直後の8月28日には択捉島を占拠し、国後島は9月1日から4日間で占拠されてしまいました。
元島民の方々は樺太の強制収容所に収監され、その後、函館に送還されたといいます。その母も数十年前に亡くなり、今思えばもっと母に島での様子を詳しく聞いておけばよかったと思うばかりです」
こう語るのは江別市在住の藤田憲子さん。公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟に属する語り部の藤田さんは講話の中で、北海道が主体となって進めてきた北方四島の交流事業の一つである自由訪問に2014年に参加した時の様子についても語った。
「祖母のお墓でお参りをしたいと思って夫婦で参加したのですが、ロシア側の都合でそこまで行くことはできませんでした。当時の写真と地形も大きく変わっていましたが、祖父母がそこで暮らしていたかと思うと何とも言えない気持ちになりました。ロシア政府は交流事業を一方的に破棄してきましたが、せめて墓参だけは続けてほしいです」
道はセミナーについて、「元島民の方々がかつて島でどんな生活をしていたのか。どのようにしてロシアは北方四島を不法に占拠していったのか、など元島民に関わる語り部から話を聞ける貴重な機会。同セミナーを通して多くの方に北方領土への関心を持ってもらいたい」(総務部北方領土対策本部)としている。
昨年7月26日、札幌市内で開かれたセミナーでは、語り部の一人である倉賀野弘行氏が40分ほど講演した。倉賀野氏は母親が歯舞群島の多楽島の出身で元島民2世。同氏はこれまで元島民に直接会い、戦前に暮らしていた島の様子や終戦直後、旧ソ連軍が日ソ中立条約を一方的に破棄して元島民を強制的に追い出したことなどを聞き取り、語り部として歩んできた。この日のセミナーでは、故郷である多楽島について説明した。
「歯舞群島の北にあり、島の周囲が20㌔㍍の小さな島。島全体が平坦(へいたん)な地形で当時は231世帯、1500人ほどが生活していました。コンブ漁やサケ漁が盛んで一つの物でも皆で分かち合って使うなど、皆顔見知りで平和な暮らしをしていました」
さらに終戦直後の状況について、「旧ソ連軍が侵攻してきた時、ソ連の軍人は強奪を繰り返し非常に恐ろしかったといいます。日本の軍人たちは大陸に連れていかれました。そのうち、旧ソ連軍は島の住民に対して強制的に退去を命じ、仕方なく北海道に渡ったといいます。旧ソ連軍のしたことは現在のロシアのウクライナ侵攻と全く同じだと私は思います」と旧ソ連軍の不当性を訴えた。

この日のセミナーは北方領土対策本部の北方領土「中学生の声」発信事業の一つとして企画された、いわば若者向け。「中学生を参加対象とし、北方領土『中学生作文コンテスト』の題材に活用していただくことを想定している。もちろん、セミナーへの一般人の参加も可能です」(同)という。
中学生作文コンテストは2016年度から行われており、22年度は道内23校の中学校から557作品が寄せられた。最優秀賞には泊村立泊中学校2年の木村柚稀さんが選ばれ、その作品は同対策本部のホームページに掲示されている。
同対策本部ではこの他に、昨年度から北方領土動画コンテストを実施。対象は小学5年生から一般人まで、道内だけでなく道外に住む人も含み、幅広い。テーマは①北方領土に関すること②根室市や別海町・中標津町・標津町・羅臼町など近隣市町の魅力を発信するもの――となっている。
スマホやパソコンなどを媒介に動画配信が一般化される中で、動画を利用して北方領土および隣接地域への関心を持ってもらおうというのがこの企画の狙いだ。2回目の22年度は福島県いわき市在住の高橋洋平さんの作品が最優秀賞に選ばれた。
北方領土対策本部は「ロシアによるウクライナ侵攻で北方領土と北海道の交流事業は遠のくばかりだが、北方領土返還に向けて地道な取り組みが必要だ」としているが、日本の国民一人ひとりが北方領土への関心を持ち続けることが何よりも肝要だ。そのため道の地道な取り組みは、もっともっと全国に拡大されなければならない。



