農耕に勤しむ民の素朴な思い 「ぞんべら祭り」と「万歳楽土」

奥能登に伝わる予祝神事

ユーチューブでも配信

年男の舞人が祝い棒と松の枝を両手に持って「マンザイロクト」と唱えながら舞を奉納する=同門前町の櫛比神社(2018年2月撮影)

奥能登では立春を過ぎると、1年の五穀豊穣(ほうじょう)を願う予祝神事が営まれている。輪島市門前町鬼屋(きや)に鎮座する神明宮(しんめいぐう)(鬼屋神社)で、毎年2月6日に行われている「ぞんべら祭り」と、同12日と26日、同町門前の櫛比(くしひ)神社の「万歳楽土(まんざいろくと)」だ。これらは一連の神事で、奥能登に伝承される田遊びとして、農耕にいそしむ能登人(びと)の素朴な思いを伝えている。

神事が受け継がれている門前町は、勇壮な伽藍(がらん)を構える曹洞宗大本山の總持寺祖院(そうじじそいん)の町として栄えた歴史があり、鬼屋神社は同祖院の南方の奥山に位置し、同寺の守護神と仰がれてきた。また櫛比神社は市街地の高台に建ち、こちらも鎮守神として仰がれ、両神社とも祖院から南と北にそれぞれ400㍍ほどの距離に位置している。

ぞんべら祭りは拝殿を田んぼになぞらえ、田の荒起こしから田植えまでの一連の行事を神前で行う。烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)姿の祭主が、巻物「農之次第(のうのこれしだい)」を読みながら進行する。同巻物は約700年前、總持寺の興隆期に都の法師によってもたらされたと伝えられ、祝言や農作業など13段の詞章が記されている。

「立春も過ぎたし、そろそろ田植えの準備に取り掛かるとするか」。祭主が切り出し、直径約40㌢、厚さ4㌢の平らな鏡餅を刺した長さ1㍍ほどの木の棒を糸車に見立てて、「ブイブイ、ネソネソ」と唱えながら、左右に振り回す。春耕に備え、仕事着を作るさまだ。「若いうちは良かったが、年を取ると回すのもしんどい」。厳かな中にも芸能がかった演技やユーモラスな口上が随所に盛り込まれ、そのたびに拝殿に集った氏子から笑いが起こる。

「田の荒起こし」では、鏡餅の棒をクワに見立て、「ぞんぶり、ぞんぶり」と言いながら用水を汲(く)み上げるしぐさになる。参列者の頭や膝もクワでなでたり、小突いたり。これは畔(あぜ)塗りの意味だ。この「ぞんぶり(たっぷりの意味)」が転じて「ぞんべら」になったという。

その後、早乙女姿の女性たちが苗の替わりに松葉を植え、田植えの模様を演じる。

このように、ぞんべら祭りが田起こしから田植えまでの所作を模擬するのに対し、万歳楽土は収獲の喜びと感謝を舞で表現している。午前11時ごろ、櫛比神社の拝殿に氏子らが集い、宮司が祝詞を奏上、区長ら参列者による玉串奉納など春季例大祭が執り行われ、直会(なおらい)の後、当渡しの儀、子供たちの獅子舞奉納と続く。

万歳楽土は例大祭の締めくくりに奉納される舞で、作物が豊かに実った様子を年男の舞人が稲束に見立てた祝い棒と松の枝を手に歌い上げる。裃(かみしも)袴(はかま)姿で、宮司から授与された祝い棒(約72㌢)と松の枝(約90㌢)を両手に持って、左右に振り上げたり下げたりして、独特の節回しで「マンザイロクト」と唱えると、氏子からも「マンザイロクト」と合いの手が入り、拝殿は豊作を念じる熱気に包まれる。

同神事の由来をひもとくと、鎌倉時代から室町時代に都から猿楽(さるがく)や田楽(でんがく)の法師らによってもたらされたのではないかという。「二つの神社が田遊びを田植えまでと収獲の喜びに分けて継承している例は、全国的にも珍しい」(同神社の宮司)とのことだ。この二つの神事は「春を待つ奥能登門前の田遊び」として、昭和61年に石川県無形文化財第1号に指定された。今年もコロナ禍のため、祝詞のみ執り行われる。神事の模様はユーチューブで配信されている。

(日下一彦、写真も)