.jpg)
松尾芭蕉の奥羽行脚(あんぎゃ)に、漂泊の先輩である仙台の俳人大淀(おおよど)三千風(みちかぜ)の影響を逸することはできない。元禄2(1689)年、芭蕉が『おくのほそ道』で宮城県仙台市を訪れた目的の一つに三千風と会う、というのがあった。
が、三千風は仙台を離れた後で、弟子・嘉右衛門が案内し、訪れたところはほとんど三千風が歩いたところだった。
三千風は寛永16(1639)年、伊勢(三重県)の生まれで、芭蕉の5歳上だ。15歳の頃から無師無学で俳諧に打ち込み、諸国行脚の夢を抱いていた。31歳のとき来仙し、この地が気に入ったと見えて約15年間滞留する。
そして松島や塩釜を探勝しながら、当地の俳壇の育成指導をするとともに、奥羽をはじめとして全国行脚し、俳諧の開発に努めた。
仙台市の北部に塩釜に向かう「おくのほそ道」というか細い街道があったが、そう命名したのは三千風だ。この道路名を、芭蕉は紀行文のタイトルとした。
三千風の代表作『松島眺望集』は、松島を本格的に紹介した最初の本で、全国から句を募って編集した。井原西鶴や芭蕉はじめ約500人が句を寄せており、芭蕉や小林一茶、与謝蕪村(ぶそん)ら多くの俳人がおくのほそ道をたどる先駆となった。
三千風は仙台を離れて西行の後を慕い、神奈川・大磯の鴫立(しぎたつ)庵(あん)に向かった。芭蕉が仙台を訪れたのはその2年後のことだった。
(市原幸彦)



