雪の中で行われる裸詣り 福満虚空藏菩薩の奇祭/福島県柳津町

只見川が説話の舞台に

本堂から眺める川の絶景

裸詣りの行われる圓蔵寺の本堂、菊光堂

JR只見線の会津柳津駅で下車した。駅員のいない駅だが、広場にはSLが展示されていた。坂道を南に下って、また上り返して、福満虚空藏菩薩圓蔵寺(ふくまんこくうぞうぼさつえんぞうじ)にやってきた。創建は大同2(807)年で、徳一大師によって開かれた古刹(こさつ)だ。

1月7日の夜に行われる「七日堂裸詣り」の奇祭でも知られている。訪れたのは朝で、参道は静かだった。ブナの木立があり、霊宝殿、圓蔵寺会館の前を通って右に折れ、千年杉の前を下って行くと、右手に本堂の菊光堂がある。赤べこで知られる牛の像も2体ある。

菊光堂は横に入り口があり、正面は西を向いている。下は断崖。遠くに山々、手前に只見川が遠望される。左手が上流で、寺の前でカーブして北に流れていく。

正面テラスからの眺めが絶景だ。前に緑色の小さなつり橋、観月橋。その後ろに赤い大きな鉄橋の瑞光寺橋。下流には同じく赤い柳津橋。風景は川と三つの橋で構成されていて、見飽きることがない。観月橋のたもとにはウグイの群生する魚淵もある。

「七日堂裸詣り」は正月七日の丑(うし)の刻(午後8時半)から行われ、鐘の音を合図に、下帯一つの男たちが積雪の中を菊光堂を目指して駆け上がってくる。本堂に入ると鰐口(わにぐち)を打ち鳴らす太い綱をてっぺんまで登っていく。男たちは元日以後、身を清め、精進潔斎してこの時を迎えるのだ。

激しく争うことで1年間の無病息災、祈願成就、除災招福を祈る。千数百年の伝統を受け継ぐ祭りで、起源を伝える説話がある。

その頃、柳津地方では悪い病気がはやって、死んでいく人が多かったという。村は悲しみに包まれ、頼みの綱は虚空蔵様への祈願。懇切に祈(まつ)ると村人に啓示があった。只見川の竜神淵深くに竜神がいて、彼の持つ「宝照の玉」を虚空蔵様に祀ると悪い病気がなくなる、というもの。その役割を引き受けたのが弥生姫で、姫は竜神のところへ行ってそれを成し遂げ、村からは病気は消えていった。

ところが、竜神のところでは悪い事ばかり起こり、「宝照の玉」を渡したためだと知る。そして1年のうちで最も静かな時に取り返しにやってくる。それが1月7日の夜。だが、寺ではかがり火がたかれ、男たちが裸一貫で大声を出し、掛け声を掛けながら本堂にお詣(まい)りしていた。竜神は、最も静かな日がこれでは、他の日はもっとにぎやかだろうと諦めて姿を消したという。

臨済宗妙心寺派の寺で、境内は土地の風土を感じさせるたたずまいと、禅寺の凛(りん)としたたたずまいと、異なる風景があって見応えがある。

会津地方は古代から仏教が盛んで、奈良や京都と並ぶ「五大仏都」の一つ。「会津六詣で」の寺には、圓蔵寺のほかに、会津坂下町の恵隆寺立木観音、西会津町の如法寺鳥追観音、会津美里町の弘安寺中田観音がある。

規模やロケーションが違っていても、雰囲気がよく似ている。近くに温泉があることも共通しているが、信仰の形も共通している。

昭和の初めごろまで、1週間かけて、会津の寺々を巡礼する人々がいたという。女性は赤ん坊を背負い、泣く子をなだめつつ、山道をたどった。願い事をかなえたいためだったが、社会見聞の意味もあった。歴史の風景である。

(増子耕一、写真も)