伝統技術考える機会に
。茅葺屋根の傷みが目立つ-山形県寒河江市.jpg)
山形県寒河江(さがえ)市にある江戸時代初期築造の国の重要文化財、本山慈恩寺本堂で10月から、70年ぶりに茅葺(かやぶき)屋根の大規模修理が始まった(令和6年11月まで)。文化財保護の専門家による建物内の調査も実施される。同寺では「まだ目に触れていない所蔵品や資料、建築工法などが見つかるかもしれない」と期待を寄せている。
慈恩寺は、奈良時代の福島県湯川村の勝常寺、平安時代後期の岩手県奥州市の中尊寺と並んで、東北地方を代表する寺院だ。寺伝によれば、奈良時代の聖武天皇の勅願寺とされている。そのため近世以前は一般庶民が近づくことが禁じられ門前町が形成されず、今も寒河江市郊外の山裾に静かにたたずむ。
史実としては、平安時代初期に法相(ほっそう)宗の僧侶が開山したようで、藤原摂関家や奥州藤原氏の保護を受けた。その後、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の1人、鎌倉幕府政所(まんどころ)別当大江広元の「奥州征伐」の論功行賞により、嫡男大江親広が寒河江を領し同寺を庇護(ひご)した。以後18代400年間にわたって、大江一族が治め、一族から幾人かの僧侶も輩出している。現在の慈恩寺本堂は、1618年に最上氏が再建し、ひさしが四方に大きくせり出した入り母屋造りで、力強く豪快な桃山様式を現代に伝える。
最上氏改易後、江戸幕府直轄となってから東北随一の寺領地を有した。寺領は18カ村にまたがり、東北最大の御朱印高約2812石を幕府より与えられ、勅願寺としてまた鎮護国家の祈願寺として崇敬された。宝蔵院・華蔵院・最上院の三つの寺の下に、僧侶・修験の48坊がいる、巨大祈祷寺院だった。現在では3カ院17坊となっている。
時代の変化と共に法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、仏教の総合的学問の場としての性格を持つことが大きな特色だ。平成26年度には、境内地や院坊屋敷地、寺の防御施設だった中世城館群、修験行場跡を含む東京ドーム約10個分に及ぶ非常に広大な「慈恩寺旧境内」が国史跡に指定された。
仏像は寺全体で70体余り(国重文は16体)あるが、約30体は秘仏扱いされ、寺の住職でさえ拝観していない仏像があるという。仏具や壁画なども国や県、市の文化財に指定されている。重要無形民俗文化財として、毎年5月の一切経会(いっさいきょうえ)で披露される林家舞楽(慈恩寺舞楽)がある。
茅葺屋根をはじめ、瓦屋根、建具、畳の製作のほか、建物の外観や内装に施す装飾や彩色、漆塗りといった伝統建築技術は令和2年12月、「伝統建築工匠の技木造建造物を受け継ぐための伝統技術」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。屋根が厚い分、一般的な茅葺屋根よりも長い90㌢以上のヨシが用いられる。防水や防湿面の劣化が懸念されることから、国や県、市から補助を受けて今回の大規模修理に踏み切った。
茅葺職人の減少が全国的な課題となる中、今回の工事には70年前の作業に参加した職人がアドバイザーとして参加し、技術伝承に協力する。本山慈恩寺では「形状に合わせた独特のふき方が取り入れられているので、技術継承を図る機会としたい」と大規模工事の意義を強調している。
(市原幸彦)



