再来年創建1300年 日本三大史跡の一つ多賀城/宮城県

政庁第2期の再現目指す

役所群の復元 大半が完成

復元整備された城前官衙群(左)と南北大路。右奥は整備中の南門

2年後に陸奥国府多賀城(国特別史跡、宮城県多賀城市)の創建1300年を迎える県と市では、記念事業として「多賀城外郭南門復元整備事業」を進めている。このほど、古代の軍事関連の役所が並んだ城前官衙(じょうまえかんが)地区の復元整備の大半が完了した。2年後に南門が完成した暁には、全国レベルの名所として登場することが期待されている。

多賀城は、奈良時代の神亀元(724)年、鎮守府将軍となった大野東人(おおののあずまひと)によって造られ、陸奥国経営のための国府と軍政をつかさどる「鎮守府」が置かれた。約900㍍四方の築地塀(ついじべい)に囲まれ、ほぼ中央に政庁正殿が位置。そこから正門の南門を抜けて南北大路が通り、碁盤(ごばん)目状に形成された都市まで延びていた。平城宮跡(奈良県)、大宰府跡(福岡県)と共に日本三大史跡に数えられる。

県は平成30年に同事業を開始。多賀城が最も荘厳だった政庁第2期(762~780年)の再現を目指す。主とするのは南門と築地塀で、他に南北大路、城前官衙群など。ガイダンス施設も設置する。そのうち、正殿から南門に向かうまでの南北大路(幅18㍍)は昨年10月に完成した。

この10月にほぼ完成した官衙地区は、南北大路の東側に位置する。鎮守府の実務施設が並び、兵士や武器の調達、管理を担ったとみられる。中央の広場を囲むように建っていた建物13棟のうち、南側のメインの1棟が完成した。

建物は横14㍍、奥行き12㍍、高さ6・6㍍。柱や骨組みを復元したが、あずまやとしての利用を見込んで壁は省略し、骨組みが見えるように瓦ぶきだった屋根もガラス張りにした。他は床と柱の一部のみを復元。他の9棟が杭(くい)と床のみの整備を終えている。建物は、1300年記念事業のメイン・イベント会場にもなる。

現在整備中の南門は礎石式の八脚門で、格式の高い二重の屋根を持つ全面瓦ぶき入り母屋造りを想定している。高さ13・8㍍、間口10・5㍍の広壮豪華な建物だ。南側を走るJR東北本線からはわずか300㍍の位置にあり、車窓からも丘上に立つその雄姿をみることができるはずだ。

古代と同様の景観の創出は、同事業の重要なポイントとされる。周辺には、丘頂上部の政庁正殿跡をはじめ、南門の内側には歌枕の「壺(つぼ)の碑(いしぶみ)」とされる「多賀城碑」(国重文)がある。また南東約1㌔には附属寺院だった多賀城廃寺跡があり、その近くに東北歴史博物館が建つ。市街地には国司館跡などがあり、歌枕も幾つか散在する。一方、貞観地震(869年)による大津波が城下を襲った歴史があることも当地を探る上でのポイントの一つだ。

県多賀城跡調査研究所の高橋栄一所長は「復元の進む南門一帯に古代多賀城の姿をほうふつさせる景観が出来上がりつつある。ぜひ多くの人に足を運んでいただければ」としている。

(市原幸彦)