石川県金沢市の金沢ふるさと偉人館

金沢市の金沢ふるさと偉人館では、世界的な化学者高峰譲吉の没後100年を記念した企画展「Try,Try Again!―二千五百年の歴史に於て初めての人―」が始まった。
高峰譲吉(1854~1922)は、消化薬のタカジアスターゼや止血剤のアドレナリンなどを発見した化学者として知られ、その一方で起業家としても、現代にも通じる特許戦略など、先駆的な役割を果たした。
高峰の経歴を見ると、20代中頃、イギリスに留学し、化学肥料製造の研究に没頭した。帰国後農商務省に入省し、同17年、アメリカ南部のニューオーリンズで開催された万国工業博覧会に事務官として参加。この折、欧米の進んだ化学肥料に触れ、日本でも肥料を工業化すべきとの思いを強めた。
帰国後、化学肥料の工業化に乗り出し、実業家の渋沢栄一の協力を得て、日本初の化学肥料会社、東京人造肥料会社を設立。現在の日産化学の礎を築いた。
明治23(1890)年、36歳の時、麹(こうじ)を使ったウイスキー製造に挑戦するため、アメリカに渡り、イリノイ州ピオリアにあるウイスキートラスト社と契約。そこでは同社に雇用されるのではなく、自身が設立した高峰ファーメント(高峰発酵)社と会社契約を結び、事業化を進めた。
研究開発に必要な経費や開発が成功したときの報酬などを、あらかじめ契約しておく方法は、現在の開発型ベンチャー企業とほぼ同じ手法で、日本はもちろん、当時のアメリカでも珍しい契約だった。
ウイスキー製造を断念した高峰は、シカゴに残って研究を続けた。同27年、研究の過程で、モルトからデンプンを分解する消化酵素の分離に成功し、この消化酵素を高峰の「タカ」を取り入れて「タカジアスターゼ」と命名した。高峰の発明した消化酵素剤は大ヒットし、世界中で販売されるようになった。
高峰には、もう一つアドレナリン発見の偉業がある。アドレナリンは動物の副腎(腎臓の隣にある臓器)から分泌されるホルモンの一種で、血圧を高める働きがあるために、今では外科手術やぜんそくの治療薬として使われている。
その抽出には当時、世界中の学者が競って研究していた。同33年、牛の腎臓から抽出し、結晶の製造に成功。翌年、高峰はそれを「アドレナリン」と名付けた。この発見により、一躍世界的な化学者となった。同展は11月20日(日)まで。
(日下一彦)



