渋沢栄一と宗教 積極的に支援活動を展開

明治神宮創建の発起人や社殿寄付も

健全な経済社会をつくるため

明治神宮

大河ドラマ「青天を衝け」で気になったのは、姉が病気になった折、生家に招かれた山伏と巫女(みこ)のうそを見抜き、退散させたシーン。合理主義者の渋沢栄一は加持祈禱(きとう)を否定したが、福沢諭吉のような宗教嫌いではない。「無宗教」を公言しながら、生家に近い神社の社殿を寄付したり、明治神宮創建の発起人になったり、一般的な宗教心は強かった。

それを教えてくれたのは高松市在住のバハイ教徒で翻訳家、カナダ人の平野キャシーさん。1916年にバハイ教の布教に来日した米国人女性アグネス・アレキサンダーが韓国に宣教に行くと聞き、渋沢は釜山の第一銀行頭取に次のような紹介状を書いている。

実家近くの諏訪神社

「彼女は私の親友、サンフランシスコ商工会議所所長ウォラス・アレキサンダー氏のいとこで、バハイ教の熱心な信者です。私はこの教えに興味を持っていたので、彼女を自宅に招き、教えに関する話に耳を傾けました。彼女は尊敬すべき個性を持った淑女で、暮らしはまことに質素です。今、韓国に旅する計画を立てており、貴君に紹介状を書いたところです。バハイ教は政治と何ら関係しない宗教で、旅の間できる限りの援助をお与えくださるようお願いします」

政治と関係しない…というのは、選挙は勧めるが政治活動はしないから。バハイ教は約200年前イランで始まった一神教で、イスラム教から迫害されてきた歴史からだろう。近代的でコスモポリタン的な宗教である。渋沢以上に応援したのがクリスチャンで日本女子大学創立者・初代学長の成瀬仁蔵、二人は親友だった。渋沢は日米親善の民間外交としてもバハイ教を支援したのだろう。

寛永寺根本中堂

日露戦争後の退廃的な社会状況を憂えた成瀬は、渋沢や宗教学者の姉崎正治らを発起人とし、「帰一協会」を設立している。神道・仏教・キリスト教などの諸宗教は本来同根であるという万教帰一の考えからだが、あまり進展しなかった。

あるドイツ人に「維新後の日本が短期間に人心統一に成功した原因」について聞かれた渋沢は、「天子崇拝にあり、その尊崇は、神、儒、仏三教の感化によるものである」と答え、さらに「キリスト教の伝来により、日本の宗教界は錯雑となり、従前の宗教は今や風前の灯である。将来の対策はどうなさるか」と聞かれ、「宗教家、道徳家、哲学者による最善の方法の研究を望むが、自分の理想としては、神、儒、仏の別なく、それらを統一した大宗教の創造を希望している」と答えている。

湯島聖堂

大河ドラマでは、近くの諏訪神社の祭礼で獅子舞をする姿が描かれていた。実業家として成功した渋沢は、同社に社殿を寄付し、祭礼に合わせて帰郷しては、地域の人たちに親しく講演している。記者も故郷に帰って20年余、氏子や総代を務めながら、神社は住民の公的、寺は私的分野を支えていると感じる。両者はすみ分け、補完し合いながら、人々の心を支えている。

明治神宮については、渋沢は宗教的な内苑よりも文化・運動の外苑の整備に情熱を注いでいる。欧米の視察から、大都市には必要だと思ったからだろう。

渋沢の実家は真言宗だが、徳川慶喜への忠義から自身の旦那寺は天台宗の上野寛永寺で檀家(だんか)総代も務めた。根本中堂近くの墓地に、慶喜は眠っている。

健全な経済社会づくりのため、福祉事業にも熱心だった渋沢は、仏教の布施は経済合理性に合わないと批判している。単なる利他では人々のためにならない、やる気を起こし、成長を促すべきだとした。ちなみに幼児期から学んだ儒教は宗教ではないという。新政府になり、儒教の殿堂・湯島聖堂が荒廃すると、その復興にも尽力した。渋沢の宗教観は今も色あせていない。

(多田則明)