
宮城県仙台市内に「蒙古の碑」と呼ばれる古碑がいくつかあり、その一つが宮城野区の善応寺の境内にある。
南宋からの帰化僧である無学祖元が弟子に命じて、鎌倉時代後期(13世紀後葉)の文永・弘安2度の元寇(げんこう)でおぼれ死んだ故国の兵士の追善のために建てたものと推測されている。
善応寺の山門をくぐってすぐ左に蒙古の碑が立っている。高さ約1・6メートル。表面の碑額に円内に大吉祥大明菩薩の種字を刻し、その下に28文字を刻む。また末行には「弘安5年8月20日彼岸」の年紀がある。
なぜ、元寇と関係ない仙台の地にあるのか、寺の人に聞いてみると、「祖元が、弘安の役(弘安4年、1281年)の直後でもあり、当世をはばかって、僻遠(へきえん)とされたこの地を占いで選び、わざと難解な文字で書いたものでしょう」という。
本文28字は省略の多い異体で判読は難しいが、東京歴史研究会の三原邦夫の論文「蒙古の碑を読む」(昭和62年)によれば、漢語の古字の意から訳せば「武役と共に 平穏な地に至りて仏の道に従う…(以下略)」となるとする。昭和16年に蒙古の主席、徳王が来仙し、これを見て非常に感激し、記念に松を植えていったという。
(市原幸彦)



