明治の庶民生活に愛惜込め 「没後50年 鏑木清方展」を観る

「没後50年鏑木清方展」が開かれている東京国立近代美術館

日常の一瞬を造形化

幼児期のよき時代の記憶

今年没後50年を迎えた日本画家、鏑木清方(かぶらききよかた)の回顧展が東京国立近代美術館で開かれている。鏑木清方といえば、「築地明石町」に代表される美人画のイメージが強い。本展でも昭和2年の帝展で帝国美術院賞を受賞した同作と「新富町」「浜町河岸」を加えた3部作が展示の目玉の一つになっている。しかし、清方の画業は、決して美人画の範疇(はんちゅう)に収まるものではない。むしろその真骨頂は、人々の生活に注いだ温かいまなざしにあったことを示そうというのが本展の狙いの一つとなっている。

「初冬の雨」(明治29年)、「雛市」(明治34年)が展示作の1、2番目に置かれたのはそれを示すためだろう。子供客が並ぶ焼き芋屋の店先を傘を差した日本髪の女性が通って行く「初冬の雨」。雛(ひな)人形を見ながら語り合う母娘などを描いた「雛市」。2作ともその時代にタイムスリップしたようで、雰囲気が生き生きと伝わってくる。

109件にもなる展示作では、いわゆる美人画に分類されるものが多い。美人画も次から次と見ていくうちに、やや食傷気味となってくる。それが生活の息遣いが伝わる風俗画の所へ来ると、ぐっと絵の中に引き込まれるから面白い。

中でも「鰯」(昭和12年頃)は、下町の仕舞屋(しもたや)の勝手口で、女性が魚売りの少年から笊(ざる)に入れた鰯(いわし)を受け取る場面を描いたもの。この家の子か浴衣の小児がすぐ横の路地に駆け入ろうとしている。庶民生活の一瞬を捉えたもので、挿絵画家から出発した清方ならではの作品。後に清方は、この作品について「昔親しんだ日常生活から云わば風物詩を造形化したもので、この制作態度はよくもわるくも私の本質となった」(「続こしかたの記」)と記している。

美人画の代表作「築地明石町」も、清方の幼い頃の記憶がベースにある。随筆の中で清方は「需(もと)められて画く場合いはゆる美人画が多いけれども、自分の興味を置くところは生活にある。それも中層以下の階級の生活に最も惹かれる」と述べている。また「私はいろいろな生活の中で何故か、明治の庶民生活に一ばん心を惹かれる」とも。

会場では昭和30年代、清方がNHKのテレビでの談話の一部が上映されていた。そこでも、自分が幼少期を過ごした明治の東京が本当にいい時代だったと語っている。江戸なまりを交えたその語り口は、芸術家というより、趣味のいい東京下町の職人といった印象である。

「汐路のゆきかい」(昭和34年)は、戦後の高度成長期に入り東京の街が大きく変貌する中、清方が、瞼(まぶた)に残る明治の東京の情景を描いたものだ。夏の夕暮れ築地川の橋のたもとに竹ざおで蝙蝠(こうもり)を追う少年や手をつないで歌を唄う少女たちが描かれている。蝙蝠を追う少年の1人は清方自身といわれ無限の郷愁が伝わってくる。展示作の最後に相応(ふさわ)しい逸品だ。

東京展は5月8日まで。京都展は、5月27日から7月10日まで京都国立近代美術館で開かれる。

(特別編集委員・藤橋 進)