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異国の神か? その受容と展開を探る
牛頭(ごず)天王は、日本で広く信仰された神の一つだが、その正体についてはよく分かっていない。先月初め、岩手県一関市藤沢町の長徳寺(渋谷真之住職)で、蘇民祭が営まれた後、東北大学災害科学国際研究所や藤沢町史談会などの主催による「疫病退散プロジェクト講演会II」が行われ、高崎経済大学の鈴木耕太郎准教授が「牛頭天王とは何者か―信仰の受容と展開を考える」と題し講演を行った。
牛頭天王は、疫病を起こす行疫(ぎょうえき)神である一方、祀(まつ)ることによって除疫、防疫の神ともなって流布した。各地の祇園(ぎおん)社、天王社の祭神であり、日本神話のスサノオの化身で、本地は薬師如来である、というのが一般的な理解だ。また蘇民将来説話の武塔(むとう)神と同一視される。
鈴木氏は「年次を付けて誰がこのように祀ったという古い文献史料が存在せず、仏典にも日本神話にも登場しない」とし、説話、伝承を中心に読み解きながらその実像に迫る。

特定社寺の祭神としては、東京大学文学部蔵「長福寺文書」(山城国梅津)の永保3(1083)年「明兼送状」紙背文書が史料上の初出だ。牛頭天王の8王子に治癒する力があるという記述がある。鎌倉時代から室町時代に、さまざまな利益を含んだ存在として祀られるようになった。
また、祇園精舎(しょうじゃ)の守護神と一般的によく言われ、インドの密教と結合して中国に伝わり、陰陽道(おんみょうどう)の宿星(しゅくせい)の信仰を取り入れ日本に伝わった、といわれるが、「それらの地で信仰された形跡は見られない」。また、『日本書紀』では、高天原を追放されたスサノオが新羅(しらぎ)国(朝鮮半島)の「曾尸茂梨(そしもり)」にいったん降り立ち、そこから日本に渡って来たと記す。ソシモリは古代朝鮮語で「牛の頭」を意味するとして、スサノオの異名とする説があるが、牛頭天王は朝鮮でも見られない、という。
「当時、異国の神と言っておいた方がよかった、信仰が広まったという可能性も考えられる。牛頭天王信仰の受容と展開を考えていく方が、その輪郭をより明確にさせることになるのではないか」
陰陽道の天刑(てんけい)星、中国の神農、観音などいろんな信仰対象と同体であったり、習合であったりと、どんどん結び付いていった。
「牛頭天王をひろめていった宗教者によって、さまざまな言説が生み出されていった結果であろう」
ではなぜ、牛頭天王信仰が各地に受容され、広範囲に展開したのか。その理由として、鈴木氏は①疫病に対する畏怖と超克のため②祇園御霊会・天王祭など、大規模な祭礼を行うため③城下町(都市)形成の一環として勧請(かんじょう)④宗教者による新たな信仰の敷衍(ふえん)、などがあるという。
そして「宗教者による特別な儀礼の執行などは求められておらず、この簡便さこそが、信仰を継続させていく上で極めて重要であった」とする。しかし、明治政府による神仏分離令によって突如として消滅し、ごく一部で残るのみとなった。
「科学が発達してない時代に人々がどうやって疫病を回避したのか、向き合ったのか、中世史を探る上でも牛頭天王信仰は非常に重要だ。各地域で歴史を掘り起こせば、必ずといっていいほどその名は出てくる。今後、地方での検討を深める必要性がある」と結んだ。(市原幸彦)



