福島県大熊町、原発事故を乗り越え新設校

教育施設「学び舎 ゆめの森」、新たな体制づくりへ

 東日本大震災による東京電力福島第1原発事故のため、一時全ての住民が町外に避難した福島県大熊町。令和5年4月、義務教育の小・中学校と認定こども園を一体化させた教育施設「学び舎(や) ゆめの森」が、同町で開校する。課題解決に立ち向かう創造力に富んだ人材を被災地で育てようと、最先端の教育実践を図る。(市原幸彦)


9年制・教科担任制を採用、時間割は話し合いで

福島県大熊町、原発事故を乗り越え新設校
公開されている「学び舎ゆめの森」のイメージ=大熊町教育委員会ホームページから

 原発事故の発生後、熊町小、大野小、大熊中の3校は会津若松市に移転。新年度から大熊中は会津短大隣の仮設校舎から、熊町・大野小学校がある旧会津若松市立河東第三小学校の校舎へ移転、統合する。
 5年春に大熊町の新校舎に移転し、認定こども園を併設して「学び舎 ゆめの森」として出発する。大熊町役場が町内での業務を再開したのが令和元年5月。まさにゼロから町ができていく真っただ中で、ようやく町の学校も戻ってくることになった。新校舎は1月に着工。
 会津若松市の3校には当初、合わせて約700人が通ったが、大熊町民の避難先が各地に散らばるにつれて急激に減少。「ゆめの森」への通学見込みは今のところ児童・生徒合わせて9人で、こども園の入園希望者はまだいない。大熊町は少人数を個別学習の好機と捉え、新たな体制づくりに勤(いそ)しんでいる。
 小中学校の枠を取り払って9年制とし、学年にとらわれない授業を通じて個性や特長に応じた指導を進める。「教科ごとに教師が替わる教科担任制を採用し、時間割は児童・生徒と教師が話し合って決める。既に昨年4月から現在の3校で試行的に導入しており、浸透しつつある」という。

「温故創新」、地域に開かれた“先端学校”を目指す

 大熊町は教育理念に「温故創新」を掲げ、STEAM(科学、技術、工学、芸術、数学を意味する英語の頭文字)教育を推進している。ICT(情報通信技術)教育、読書活動、英語教育、芸術などを重視して総合力と創造力を養うのが狙いだ。
 同町教育委員会によると、「混在」がキーワードの一つ。学習指導要領の枠内で、「最大限の多様な学び」を追求する。建物の中央に図書ひろば(図書室ではない)を設け、教室の壁は可動式で、広さを調整できる。「図書ひろばを中心に、ぐんぐんと空間が伸びて広がっていく感じで、年齢や性別、障がいの有無などで学びの場を分けることなく、みんなが必要に応じて同じ空間を共有することができます」。
 体育館、音楽室などは校外から入りやすい設計とし、生涯学習施設の役割も果たす。「できるかぎり校舎は地域に開放し、0歳から100歳までの学び舎を目指します。子供たちが先生以外の大人とも触れ合える。これらは大熊の教育が震災後10年の経験の中で得た方向性と言えます」(同教育委員会)。
 教室では一律の授業ではなく「個別最適化」を行う。学校では、すでに8年ほど前から児童生徒に1人1台タブレット型PC端末が配布され、令和2年度からはAI(人工知能)教材も導入している。
 校歌と校章は昨年12月に完成した。校歌は軽やかで明るいメロディーに人と人を結ぶ前向きな歌詞が特徴。詩人の谷川俊太郎さんが作詞し、息子の谷川賢作さんが作曲した。児童生徒9人が2月15日、旧河東三小校舎で元気よく歌い、関係者に披露した。
 地元メディアによると、大熊中1年の斎藤羽菜(はな)さんは「校章も校歌も大熊の自然や人のつながりを大切にするところが詰まっていると感じた。新しい学校も笑顔であふれる場所にしたい」と話した。保護者として参加した斎藤やよいさん(48)は羽菜さん、熊町小4年の輝(あきら)君と共に、ゆくゆくは大熊町に戻る予定で、「先輩たちが、また大熊に戻ってこの学校に来たい、と思えるような学校になってほしい」と話す。
 課題は児童・生徒の確保だが、町教委は、学校を紹介するため、ウェブ上に「note」を開設したほか、新年度以降、入学希望の意向調査を実施したり、校舎の整備状況や授業を公開するなど、学校の魅力の発信に努めている。