【ポイント解説】外国人に誤解される言葉の意味
この記者の根本的な間違いは日本人が普段使う「すみません」が謝りの意味ではないということを理解していないところだ。「すみません」というのは「労をねぎらう」とか「煩わせることに対する心遣い」であり、日常的にはほとんど「呼び掛け」として多用される。謝罪の場合もあるものの、限りなく軽いものだ。
なのでこの記事の前提が間違っているため、後段の論理展開が破綻する。日本人は「するべき時に謝罪しない」のではなく、行うべき時には行っている。そもそも謝罪とは自分の罪を自覚し認めた時に行われるもので、納得していないのに強制されて行うものではない。落ち度を認めた時に謝る“率直さ”は世界の中でも日本人は高い方だろう。
ところが日常の中で出て来る「すみません」の習慣が外国人を誤解させる。その「すみません」は自分の過ちを認めたものではなく、状況が「残念だ」という程度の意味合いなのだ。最近は日本人もむやみに「すみません」を口にしなくなった。確かめもせず落ち度を認めると補償義務につながる、という世知辛い海外の影響を受けたからだろうか。
こうした日本国内で通用している「すみません」の習慣を外交や国際関係に当てはめたのがこの記事の間違いだ。外交では引くべき時には引き、折れるべき時には折れる。1965年の基本条約・請求権協定で日本は公式に謝罪をし、その後「元慰安婦」問題だけでも6人の首相が7回謝罪している。そのたびに韓国は後になって「真正性」を持ち出して再度謝罪を要求する、の繰り返しだ。日本には「水に流す」という考え方があるが、韓国にはないらしい。
ともあれ韓国ではこうした分かったふうな日本人論が横行する一方で日本礼賛の情報もネットに溢(あふ)れている。いずれもありのままの日本を伝えてはいない。半可通な分析や認識が結局、自縄自縛になることをメディアは肝に銘じてほしいものだ。
(岩崎 哲)



