
日本人特有の言語習慣
先月初めに日本に行ってきた。初めての日本訪問は13年前の京都だった。その後、機会があるごとに日本のさまざまな都市を回ってきた。
初めは韓国と日本は似ている点が多いと思ったが、訪問を繰り返すたびにその考えが必ずしも正しいわけではないという方向に傾いた。代表的な違いといえば、「すみません」という言葉を頻繁に使いながら暮らす日本人たちの言語習慣ではないかと思う。
「すみません」は基本的に「ミアンハムニダ」という意味をもっているが、相手方に礼を失したときによく使われる。日常であまりにも広範囲に使われているので、例えば食堂でお客さんが注文した食べ物を持っていってあげる従業員が当然自分の仕事をしながらもお客さんに「すみません」という。お客さんたちもまた、従業員を呼ぶとき「すみません」という。
互いに礼儀をよく守らなければならないという日本人特有の思考が「すみません」を口癖のように話す言語習慣を誕生させたようだ。
日本滞在中、数えられないほど聞いた「すみません」のうち、果たして真心が込められたものは幾つあっただろうかという考えがふと浮かんだ。
先月訪問した時にあったことも、そうした疑いを持たせた。ある商店で精算のために列に並んでいたら、店員が来て「列になぜ並ばないか」といって、「アウト」ときっぱりと言った。それから列の一番後ろを猛烈に指さして「向こうに立って」と述べた。結局、店員の錯覚だったとの結論が出たが、彼は謝らなかった。
もう一度は、電車に乗って移動中に、突然スピードを落とすとある乗客がよろめいて自身の靴底を座席に座っていた私のズボンにこすってしまった。彼もまた、謝るつもりさえないかのように最初から後ろを向いた。「すみません」という言葉が自動的に飛び出してこなければならない状況で彼らは口を閉じた。
ある日本通から「『自分のミス』というのは彼らだけのマニュアルに想定されていない」という話を聞いたのは後日のことだった。その説明を聞くと、多くのことが説明できた。
自分たちが起こした太平洋戦争の終息を「敗戦」でなく「終戦」という点、その戦争の終止符を打った米国の原爆投下を「1945年の空襲」だという点、日本軍慰安婦と日帝強制動員(元徴用工問題)はなかったと主張する点、本当に「すみません」と言わなければならない決定的瞬間に謝らない彼らの「選択的すみません」と特有の「歴史潔癖」のことだ。
このような日本の二重性をルース・ベネディクト(1887~1948年)は著書『菊と刀』(1946年)でいち早く説明している。同書は日帝敗戦前年の1944年、米政府の依頼で書かれた。当時は敵だった日本に対する無知から抜け出さなければならないという米国の判断に由来する。今でも古典に数えられる。
記者が日程を終えて帰国する頃、一部の(韓国)野党議員らが原子力発電所の汚染水海洋放出に反対するために抗議訪日した。韓日首脳会談で見せた(尹錫悦)大統領の「コップの半分は満たしたので、残り半分は日本側が満たすべきだと迫る外交」を巡り「太っ腹の譲歩」とか「対日屈辱外交」とかという言葉が政界を中心に噴出した。日本は私たちの内輪もめを眺めて会心の笑いを浮かべはしなかっただろうか。
(ペ・ミニョン政治部記者、5月13日付)



