【韓国紙】光化門の「月台」を復元する意味は

【ポイント解説】光化門の持つ象徴性

ソウル、いや韓国を象徴する風景の一つがソウルの旧王宮正門だった光化門だ。今ではその前で巨大な集会やデモが行われることで知られている。以前は片側7、8車線もある広大な世宗路が門に突き当たってT字路となり車は左右に分かれた。

李明博大統領時期の2009年、道の真ん中に車線を削って光化門から南へ下って世宗路十字路までの約600㍍に及ぶ「広場」を造り「光化門広場」と名付けられた。光化門と言えば、門そのものではなく昔からこの一帯を指していたからだ。朴槿恵政権を倒したろうそくデモが繰り広げられ、選挙戦ともなれば、決起集会や当選後の祝賀集会が行われる。

現在、光化門前が工事中だ。土地を突き出し道路を曲げて広場を建設している。韓国は数年訪れないと都市の風景が変わっているが、政権の意向なのか、一方通行になったり、ロータリーが広場になっていたりする。

門の前を広げるのなら、失われた「月台」を再建し「ヘチ」像も設置して“元の姿”を取り戻したらいいというのがこの記事の主張である。筆者は「ソウルの空間的アイデンティティー」と言っているが「風水」と言い換えてもいいだろう。

景福宮の背後には北岳山があり、広い世宗路が崇禮門(南大門)を経て南北に走り、その先には漢江が流れている。王朝の弥栄(いやさか)を願って建てられたものだろうが、歴史は安寧ではなかったのは皮肉だ。

光化門撤去を惜しむ柳宗悦が雑誌「改造」に一文を寄せた。金泳三政府が朝鮮総督府解体を決めた時も日本の建築家たちがその建築的価値を惜しみ保存を訴えたことがある。惜しむなら日本で移設費を募ったら良かったのにと思うが、韓国人の気持ちを思えば口出しすることでもなかった。

月台とヘチが復元された光化門を見てみたいものだ。

(岩崎 哲)