【ポイント解説】“クジラの争いの中のエビ”
何度もこの例え話を出すが、韓国では「クジラの争いでエビの背が裂ける」という。強大国が争えば、その間に挟まった小国はとばっちりを受けるという意味だ。朝鮮半島の地政学的宿命である。
ウクライナ戦争でも韓国は微妙な立場に立たされた。自由民主陣営に立ってロシアの蛮行を非難するまではいいが、ロシアへの攻撃につながる兵器支援を行うとなると、ロシアの報復が心配になってくる。ウクライナやNATOに韓国が支援すれば、ロシアが北朝鮮との協力を強化したり、中国を通じて圧迫してくる可能性があるということだ。
実はこの記事の前段には豊臣秀吉の朝鮮出兵を機に力を強めた後金と明との間で揺れ動いた朝鮮の歴史が述べられている。強盛化していく後金に傾いた光海君を「助けてくれた明の恩を忘れたか」と臣下が引きずり下ろした。光海君は国際情勢の変化を読み、実利的外交を進めたのだが、「理念的事大」に陥っていた朝鮮の官僚は衰え行く明を見極められなかったのだ。
記事では「兵器支援は不可」ということも必要だと主張する。陰りが見えたとはいえ当時の大国「中国だけを眺めて頼って結局亡国の道を歩いた」という教訓がある。つまり何が何でも米国を中心とした自由民主陣営に自動的に「事大」することがいいのか、という問題提起でもある。光海君のように変化を読み取り「生存のためにもがく」必要がなくはないか、ということだ。保守紙セゲイルボにしては大胆な提案である。
もっともこの種の悩みをこの地の政治家はずっと続けてきた。どちらか一方に偏っては碌なことがないということを学んだ。その結果、エビの処世術はどちらのクジラからも歓迎されないということになった。これは皮肉なのか、悲劇なのか。
(岩崎 哲)



