【ポイント解説】戦術核配備と核共有案
日本を飛び越えた弾道ミサイルに対する日本国内の反応に、韓国は“新鮮”な驚きを感じたようだ。
Jアラートが出され、テレビが一斉放送して騒然としている様子を冷笑するのではなく、稀有(けう)な非常事態に対し、新幹線が止まり、小学生が退避する、といった決められた手順が粛々と進められていく。その姿に改めてミサイル飛来がとてつもない安保脅威であることに気付かされたといった具合だ。翻って、それだけ韓国民がミサイル“鈍感症”になっている証左でもある。
一方で韓国政界では「米戦術核再配備」や「核共有」議論が急浮上している。対北関係改善のために“忖度(そんたく)”し、目をつむってきた文在寅政権の5年間に北朝鮮のミサイル技術は長足の発展を遂げた。さらに、いかなる事態にもミサイル攻撃ができるよう法制化も行った。
韓国がいくら米国、日本と協力しようと、北のミサイルに核が搭載されたら、これに対応できる力はもはやなくなっているかもしれない。
その遅れを一気に取り戻すかのように慌てて取り出したのが「恐怖の均衡」論だ。北の核に対抗して南も核を持つ、ということだ。国民的議論となるだろう。だが、忘れてならないのは、これが過去にも表れては消えていった理由の大きな一つが、日本の核武装を誘発しかねないという危惧だったのではなかったか。
韓国は「日本には核武装の技術も材料も資金もある。ないのはやる気だけ」という見方がある。もし朝鮮半島の南北が核で対峙(たいじ)するようになれば、日本や、場合によっては台湾にまで核ドミノが及ぶと見ており、それが核武装誘惑へのつっかえ棒となっていたのだ。
米国が容認するかどうかは別にしても、対日警戒論を押しのけてまで核武装が論議される、というのは相当な事態とみていい。文政権の忖度外交のツケは大きい。
(岩崎 哲)



